見出し画像

伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』76


LXXVI.
Quando ♄ in medio coeli, eique diametraliter sectarium luminare opponitur: sitque in angulo sub terra signum terreum: qui tunc natus fuerit, a casu domorum super ipsum morietur. Si vero signum aqueum fuerit, in aqis vel ab hominibus suffocabitur: aut furca, aut verberibus morietur, si signum humanae fuerit formae. Sed si benefactivus Planeta in octava fuerit domo, proxime ad haec deveniet, nec tamen morietur.
Patet ex superioribus his aphorismus. Saturnum autem in medio coeli dicit, & intelligit hic non solum super terram, sed etiam sub terra. quod inde patet, quia intulit, eique sectarium lumen opponitur. Est autem Sol quidem vel conditionis diurnae: Luna vero nocturnae. Quare nisi pro utroqe acciperemus, vanus esset fermo. nunquam enim Sl opponi Saturno super terram, in medio coeli collocato. poterit in secta sua, hoc est, in die. Ut igitur utrunque sectarium luminare locum habeat, ne esse est in medio, vel super terram, vel sub terra Saturnum ponere: ut quando sub terra fuerit, tunc Sol in secta sua ipsi opponi possit.

[羅] ♄が中天にあり、これの逆位に昼夜区分の光球がある時、地下の角隅に土性の星座をもつなら、ここに生まれる者は誰も家の倒壊によって死産するだろう。これが水性の星座なら、溺れるか人によって窒息させられる。しかし第八の家に善惑星があるなら、こうした事態になっても死ぬことはないだろう。
この寸言は先のもの同様に明瞭である。土星が中天にある時とは、大地の上にあることだけでなく、大地の下をも意味している。というのも、ここで昼夜区分の光球の逆位まで援用されているから。さて、太陽は日中のものであり、月は夜間のものである。これらのいずれをも認めないなら、これにとどまることは無用である。地上の土星が中天にあることは矛盾せず、これを日中の昼夜区分に据えることも可能となるから。それぞれの昼夜区分にそれぞれの光球が輝いているなら、地上にあっても地下にあっても土星が中天にある必要はない。太陽が地下にある時、これ(♄)はその昼夜区分そのものの逆位にある。

[亜] プトレマイオスは言った。土星が中天にあり、昼夜交代nawbahに属するそれ〔光球が〕これと逆位にあり、第四〔の家〕に乾の星座(しるし)がある時、生まれる者は建物の瓦礫の下で死ぬだろう。第四〔の家〕が水性なら、溺れて死ぬだろう。人のすがたなら、考察されるか撲殺されるだろう。しかし第八〔の家〕に善〔惑星〕があるなら、こうしたことが起こるだろうが、それで死ぬことはないだろう。
註解
瓦礫とは土星がもたらす惨事の一つで、これが大地の上にある時、昼夜交代nawbahに属するハイラージュhaylagが大地の下にあり、その星座が乾である時に起こる。それ〔星座〕が水である時には〔昇位点(アセンダント)は〕溺れ〔窒息し〕、また同様に〔それが人のすがたをとる星座であるなら〕殴打され絞殺されることは避けられない。プトレマイオスはこの部分〔籤(?)、章〕について肯定的な事例をつけ加えている。不快な死が避けられるのは、善〔惑星〕のひとつが第八〔の家〕に見つかる時。この時にもその災厄は起こるだろうが、彼の生命に死をもたらすことはない、と。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?