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フィチーノ『三重の生』第三部「天界の生との対比」13


13 古人たちにより天から得られた図像や薬の力能について

プトレマイオスは『百言集(センティロクィウム)』で、下位なる諸物の図像(イマジネ)の数々は天の穹窿〔相貌〕voltiに従属しており、古賢たちは諸惑星がその一々に似た〔類同な〕天の形象〔星座〕に入る時に、それを下位なる諸物の範例として図像の数々をつくったものだった、と言っている。ハリーもこれを確認するように、月が天の蛇〔蛇座〕に入る時あるいはこれを幸いな相に眺める時に有用な蛇の図像をつくることができる、と言う。また同様に、月が天蠍宮に入る時、そしてこの星座segnoが四つの枢要角の一つを占める時に蠍の効果的な図像をつくることができる、と。そして当時エジプトでは、また彼自身も、ベゾアル石に彫った蠍の図像のある印章〔護符sigillo〕の形象を香〔伽羅、抹香等々〕incensoに捺し、この香を飲物に入れて蠍に刺されたものに与えると、たちまち治癒したと証言している。これについては医師ハハメドの証言、またセラピオンの言明をつけ加えることができる。さらにハリーはその地で或る賢者と知り合い、彼はこれに類した処方によって図像をつくったが、これはどのようにかは知らずアルキタスがつくったと書かれているもののように動いた、と語っている。トリスメギストスも言うように、エジプト人たちは特定の質料〔素材〕に時宜を見て〔適切な時に〕ダイモーンたちの魂を注入してみせる。これによって彫像群にポイポスの魂、イシスヤオシリスの魂が降り、人々を悦ばせたり阻害したりする。
このものがたりは、天の生命と光を泥の像とともに奪ったプロメテウスの物語によく似ている。さらに、ゾロアストロの後継者であるマグスたちも、ヘカテの霊を召喚するにあたり、天の諸物〔天体〕の記号(カラクテール)で装飾し、ひとつサファイアを嵌めこんだ黄金の球を牡牛の革で作った鐙車で回転するようにしたものを用いて呪文を唱えた。その魔術定式については、プラトン主義者プセルスもこれを断罪し嘲弄しているので、ここでは略す。エジプトに住んだヘブル人たちも、彼らの占星術師たちの思惟に則って、ユダヤ人たちにとって忌まわしい蠍と火星の影響に抗するため、金星と月の恩恵〔好尚〕を求めて黄金の牛をつくることを学んだのだった。ポルフュリオスも『アネボ宛て書簡』で図像の数々は効果的であると言明しており、気性のダイモーンたちは適切な燻香から立ち昇る特殊な蒸気に忍び込む、と付言している。イアンブリコスは、天のさまざまな力能と効果〔帰結〕だけでなく、ダイモーン的あるいは神的なものも質料〔素材〕の中に集められ得るものであり、これら〔力能と効果〕は自然本性的に〔当然ながら〕上位諸存在と同形〔に準じたもの〕であり、さまざまな場所にまた複合物に〔として〕集められるにふさわしくまた好都合なものである、と言っている。プロクロスとシュネシオスもまたまったく同じことを言明している。
じつのところ、健康のための驚くべき処置〔実修〕の数々は、占星術に精通した医師たちによってさまざまな元素(要素)を複合して調整されたものをもって-粉末、液体、塗布薬、舐薬のようにそれ自体のうちにより信用ができる説明をもつようにみえるもの、また図像の数々によっておこなわれる。というのもこれらの粉末、液体、塗布薬、舐薬に捺されたもの〔図像の数々〕は適切な様相でそれにふさわしい時に準備されると、図像を刻まれることになるより固い質料〔素材〕よりも、天のさまざまな影響(注入)をより容易により迅速に受けとるから。こうして天のさまざまな影響を受けたものは、内服されてわれわれのうちで変じ、あるいは外から貼り付けられて浸透する。これらを調合する者の判断によれば、多くはさまざまな元素(要素)から調合(準備)されるものであるが、図像の数々は一つあるいは僅かの元素(要素)からつくられるものである。それはたとえて言えば、太陽と木星の百の恩恵〔賜〕が百の植物や動物等々に散らばっているのを、あなたが百のものを一緒に結び合わせて唯一の形相に組み合わせる〔複合する〕ようなもの。この中に太陽と木星のほぼすべてが得られたようにあなたには見えるだろう。もちろん下位なる自然本性は唯一の存在(もの)の中に上位なる自然本性の活力のすべてを捉えることはできない。われわれの世界のこれらの活力はさまざまな自然本性のうちに散らばっており、図像の数々によるのではなく、医師たちの処置〔実修〕によってより容易に結びあわされる。
また木でつくられた図像の数々〔木彫〕はたいした力能をもたない。実際、木は天の影響(注入)を受け取るにはかなり堅いばかりか、受け取ったにしてもこれを保持することができない。殊にひとたび母なる大地の臓腑から引き抜かれたなら、その後世界の生命のほぼすべての活力を失い、容易に他の性質を引き受けることになる。一方、石や金属はたとえ天の恩恵〔賜〕を受けるには硬すぎるように見えようとも、ひとたび受け取ったならこれをかなり長い間保持する(とイアンブリコスは言っている)。これらの硬さは、取り出された〔掘削された〕後も、先に大地〔土〕と結びついていた〔に繋がっていた〕時にもっていた世界の生命の跡と恩恵〔賜〕を長く保持する。すくなくともこれによってこれは天の諸特性を受け取り保持するのに適した質料〔素材〕とみなされている。天のたいへん大きな尽力(はたらき)がなければこれほど美しいものが地下にかたちづくられることはできなかっただろう、そこに捺された力能はひとたび天から与えられると長くつづく、と本書の先の巻でわたしが語ったことにもおそらく蓋然性がある。じつにこれらの諸物を混ぜて固めるためにはたいへん長い尽力(はたらき)を要した。しかしあなたがこれほど多くのものを一緒になすことは容易ではないので、あなたはさまざまなものの中でいずれの金属が或る星辰〔惑星〕の指示〔序列〕をもっとも強く受けているか、いずれの石がこの序列のうちでもっとも上位にあるか〔もっともその指示を受けるか〕を知らねばならない。或る類の序列〔秩序〕のすべての頂点にある唯一のものを受容器(うつわ)として、その中に、それに近接した〔似た〕天の諸影響〔注入〕を捕えることを可能とするために〔捕えるがことがどの程度可能であるのかを了解するために〕。たとえば太陽の序列においては、太陽(ポイポス)的な人が、動物の中ではオオタカあるいは鶏が、植物の中ではバルサムと月桂樹が、金属の中では黄金が、石の中では紅玉(カルボンキオ)あるいはパンタウラ、諸元素の中では熱い気(実際、火そのものは火星性とみなされる)。太陽、木星あるいは金星の影響〔注入〕を増すために先に語ったところからして、それが一般的に有効なものであるものと考えるが、いずれ諸惑星の一つに誕生〔生成〕が認められるにしても、それが死を告げるものである訳ではない

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