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モラン『百言集に関する占星術的註記』3


寸言III.
Qui ad rem quampiam aptus est, habebit profecto & huiusmodi significationis stellam admodum potentem in sua genitura.
或ることがらに巧みな(適合した)者は、たしかにこのことを意味する星辰をその誕生時にたいへん強いもの(大きな潜在力)としてもつだろう。

この寸言は翻訳において過つにはあまりに平明である。さらにこの註釈者はその真実を証するために、マルス(火星)の子ロムルス、ヴェヌス(金星)の子アエネアス、アポロン(太陽)の子エスクラピウスの事例をもちだす。これらの男たちが誕生時の図像(星図)にまさにあらわすところを。そのせいで彼の註釈は笑止なものとなっている。
これは現下、スウェーデンの偉大な王グスタフの誕生時日(星図)をつくるようなもの(枢機卿リシュリューがわたしにその誕生時日について問われた折、この王の暴力的な死と死の年を予言した)。そこでは太陽がまさに東、人馬宮26度にあったが、正しくは27度13分であった。これが唯一の過ちであったかどうか分からないが、これが最大の過ちであったことに間違いはない。
東(ホロスコープ)つまり昇機は6度26分。これについては『ガリア占星術』で十分論じた。ここからド・ヴィレンヌ氏のさまざまな過ちが見出される。まず、この誕生時日には一時間に40分足りない。第二に、この王の死にかかわる天の原因が知られていない。それは東(ホロスコープ)の火星の四角相の方向に帰属されるもので、これが第十の家の主(惑星)であることによってたいへん邪悪(なしるし)である。ここで彼が言うところに従うなら、第十の家は処女宮の26度にはじまる。第三に、火星(マルス)が第十の家の天蠍宮にある場合[p.7m]、同様にこれは第十二の家の一度となる。これにかかわるド・ヴィレンヌ氏の卓抜な論議を信じるならば。他の誕生星図に移り、その論議のすべてと戯れる時間はない。


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