原体験を掘り起こしてみた

少し前に、モチベーショングラフというやつを書いた。時系列で幸せ度がどう変化してきたかの自分史である。

30歳くらいまではあらゆることをそつなくこなし、幸福度はほぼずっと100で、「人生こんなもんかー」と思っていた。それを言ったら「いけ好かないやつだったんですねー」という反応をされてしまった。自分のことをいうのはおかしいけど、自分がいけ好かないやつだった覚えはあまりない。今の自分をよく見せるために必要以上に過去の自分を陥れてしまってるんじゃないか・・・。過去の自分と和解すべく、自分の感情の揺れ動きに着目して、記憶を掘り返してみた。以降、いくつかのエピソードを並べるけど、掘り起こしに2週間くらい掛かった。それくらい奥深くに眠っていたんだろう。

小学校低学年の頃。同年代の男子が好きな昆虫(カブトムシとかクワガタ)に興味を持てなかった。男の子は男の子と外で遊ぶべき!という哲学を持った母親からのプレッシャーを受けて、仕方なく虫捕りに出かけるものの、そんな中途半端なスタンスで虫網を振り回すやつに捕まる虫は居なかった。ま、それでも、その頃の遊びとしては、最初は昆虫を探していても最後はただの探検ごっこになることも多かった。従い、何度昆虫を捕まえに行っても収穫がない僕が目立つこともなかった。

小学校中学年になるとJリーグが開幕。皆んなでこぞってサッカーをやる。でも残念ながら興味を持てなかった。僕は、サッカーでは皆がやりたがらないディフェンスを自発的に名乗り出ていた。そしてオフェンスにあっさり抜かれた場合はオフサイドだろー!と言って、玄人っぽい感じを演出していた。

中学生になると、イケてるグループの中では洋楽が流行りだす。イケてないグループに行くと、オールナイトニッポンが流行り出す。残念ながらどちらにも興味を持てなかったのだけど、どちらのグループにも所属し、主に聞き役に回りながら、上手く立ち回っていた。

こう書くと、皆が興味があるものに興味を持てないニヒリストと思われるのだけど(実際、自分のことを、そう誤解していた時期がある)、決してそんなことはなかった。常にチャレンジはしてみていたし、実はさほど興味を持ててないという事実すら認識できていなかったと思う。その微かなストレスからか、自分が出来ることで人に凄いねと言われることに注力したのかもしれない。勉強や、足の速さだ。試験対策は前もってきっちりやったし、足の速さを生かして陸上部も小中高で所属した(でも、本質的には、やりたいことじゃないから、練習が嫌いで今思えば苦痛だったな。。。)

では、心踊ったことが一切なかったのかと言えば、そんなことは決してない。

小学校中学年の頃。その時の先生が変わっていたのだろう。席替えのやり方も変わっていた。まず男子は男子、女子は女子で3人グループを作る。で、先生が、この男子グループと一緒の班になりたいグループいますかー?と女子たちに手を挙げさせるのだ。こうして男女混合の6人グループを作り、席決めにつかうのだ。なお、女子グループの手が複数上がったときは男子グループに選択権がある。今なら大問題になりそうだよなぁと思う。でも僕は堪らなく好きだった。自分が選ばれて優越感を得たいとかそんなんじゃない。自分が誰と組むか、女子が誰と組むか、どの女子グループが自分たちに手をあげるか、全てを映画監督的な視点で楽しんでいたのである。そして、僕が所属するグループはたいてい盛り上がった。男女で遊ぶイベントもたくさん仕掛けたからね(男子は実は女子と遊びたかった。)そして、隣になった女の子のことを例外なく好きになっていた。

中学2年の頃。地学の先生が大好きだった。まず教科書を使わない。黒板には一言二言しか書かない。だからこそ必死にメモを取りまくった。その中で最も興味を持ったのは天気図だ。朝の5時とかにやってるラジオを聴いて天気図を書こうというもので、3枚書くのが宿題だった。が、僕は、毎日3ヶ月間100枚近くの天気図を書いた。高気圧があるところにH、低気圧があるところにLを書くのだけど、カッコよく描きたいため、消しゴムを削り、お手製のハンコを作っていた。また、ラジオで地点毎の気圧を聞いて、同じ気圧のところを繋ぐ「等圧線」を引くのだけど、その引き方には「この時期はここに低気圧ができる」などの経験が必要だった。それを理解するために、図書館で天気予報士の入試試験を借りてきて勉強した。

高校2年の頃。罰ゲームの設計が好きだった。例えば、修学旅行。京都に行ったのだけど、何処も今となっては覚えてない。覚えてるのは、クラスの大半、たぶん20人強を巻き込んで夜中にやった大富豪だけだ。僕はゲームで負けるのはある意味目立ってオイシイという状況が我慢ならなかった。皆が本気になるやつにしよう。罰ゲームを考えた。一番負けたやつは、裸で旅館から出て、旅館の3階から投げたペットボトルを拾う。二番目に負けたやつは、洋服を着たまま裸のやつと一緒にペットボトルを取りに行くのだけど、万が一先生に見つかりそうになったら、自分が率先して捕まる役にした。皆死ぬ気で大富豪に取り組んだし、罰ゲームでは不良とガリ勉がペアとなり共同作業を行う姿も笑えた。熱狂がさめることなく、気づいたら朝になってた。次の日の観光はバスの中でずっと寝てたよね。

こう思い返してみると、心踊った体験は確かにあった。でも、普通の人になりたがっていたようだ。自分の感情に蓋をしてしまった過去が原体験となり、いま逆に、「パンツを脱ぐこと」や「誰かのパンツを脱がせること」にハマっているんだなと納得した。(もちろん内面をさらけ出すことの比喩なのだけど、フィジカルに裸になるより恥ずかしいという人も多い。)

その一つは、ペア読書だ。
(もう一つは自分語りなのだけど、それは別の機会に。)

2人、ないしは3人で、同じ本を30分で読む。その後、「どうしてこの本を読もうと思ったのか、何処に特に惹かれたか、その理由は?」などの意見交換をする。
(この読書法の良さについては、ほかのnoteに良くまとまってる)

僕は、週4回誰かとペア読書している。Twitterでペア読書したいと呟いてるヒトを見つけて誘うくらいだ。ちょっと異常だ。ハマった理由は、興味を持った箇所と理由からヒトの価値観に触れられるからだ。15歳の高校生と「空気の研究」を読んだ時も、22歳の大学生と「愛するということ」を読んだ時も、エンジニアや経営者やフリーランスなど様々な立場の方と「THE TEAM」を読んだ時も、めちゃくちゃ興奮した。僕はその状態を脳汁が出ると表現するのだけど、本当に出まくった。普段であれば触れられない価値観に触れ、そして、お互いに価値観を許容し合あうのは、病み付きになる。


ちなみに、自分が「パンツを脱ぐこと」や「誰かのパンツを脱がせること」にハマっている理由を考えると、もちろん、僕自身の元来の人間関係への興味もあるのだけど、パンツを脱げなかった過去の自分を今の自分が認めてあげたいと思ってるからかもしれない。

世の中、昆虫やサッカーや洋楽やオールナイトニッポンが好きな男子だけじゃない。多様な価値観を持つ世の中の人々と、対話しながら、共感まではできなくても、お互い許容したり、なんとか理解しながらゆっくり進むということ。そんなやさしい世の中を作るために、今日も仕事をしようと思う。

なお、今の年代の男子でいえば、車と投資。どっちにも興味はない。(笑)
そんな自分を許容しつつ、今日は、車と投資が好きな男子とペア読書する。

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