Aマッソの件

Aマッソがお笑いライブで差別発言をしたとして批判されている。
大喜利で「大坂なおみに必要なものは?」というお題に「漂白剤」と答えたというものらしい。
これは紛れもない差別発言であり、完全にアウトである。

僕は以前からAマッソが好きだと公言しているし、その才能は高く評価している。センスの溢れる切れ味鋭い尖ったネタは、問題になるかならないかのギリギリを攻める高度な技術を使っている。その才能は若手随一と言っていい。

知的なレベルの高い加納さんが、これが人種差別発言にあたることをわからなかったはずはない。うっかり口を滑らせたという話では済まないはずだ。それについては、心からの反省をするべきだと思う。

芸人さんの件で思い出してみると、相席スタートの山崎ケイさんの「ちょうどいいブス」というワードが炎上したこともあった。
もちろん、「ブス」という言葉が言ってはいけない言葉だとわかった上で、あえて自分のことをそう言っているのではある。しかし、それが女性蔑視だと批判された。

自分の容姿を使って、いわゆる「ブスキャラ」を演じる女性芸人さんのことは、一概に否定されるべきではないと思う。
彼女たちが生き生きと活躍する様を見て勇気付けられる人々も数多くいるはずだ。
世間に残る男女差別的な風潮を逆手にとって、力強く生きていこうとする姿には、僕はリスペクトすらしている。

「ちょうどいいブス」というワードも、世間から与えられたそのような視線をあえて引き受けて見せ、男女差別の構図自体を笑い飛ばすようなものになっていれば、問題にはならなかったはずだ。しかし、彼女のエッセイもそういう視点には至っていなかった。むしろ、男女差別的な視点を内面化してしまっているのではと危惧してしまうようなものになってしまっていた。

頭のいいケイさんならば、それがわからないわけはないはずだ。だからこそ悔やまれる件だった。

繰り返しいえば、僕はAマッソも相席スタートも好きだし、非常に才能もある人たちだと思っている。
今回のAマッソの件は、明確な差別発言だと思う。
しかし一度失敗をした彼女らを叩いて終わりにしていいとは思わない。

昨今、韓国ヘイトや在日差別が吹き荒れる中、差別的な言動によって安易に笑いを取ろうとするもっと低俗な芸人が現れるのではないかと強く危惧するからである。
安倍政権による官製ヘイトとも言える状況にマスメディアがホイホイ追従する様を見れば、その懸念はほぼ現実化しつつあるとも見える。

「本音で」とか「ぶっちゃけて」とか言って番組を作っている連中も、政府や一部の権力者に都合の悪いことは絶対に言わない。しかし、自分より弱い立場の人間には残忍な差別の牙を向ける。
許される差別と許されない差別が存在するかのようだ。この状況は、滑稽どころか醜悪ですらある。
この全体状況をこそ笑い飛ばしてやるべきなのだ。

セーフとアウトのギリギリのところを攻めて、境界線をずらし、全体状況を俎上に上げて、結果的に全ての存在を肯定してしまう。
笑いとは知的で高度な技術を要するもので、しかし全ての人を幸せにすることもできる無限の可能性を秘めているものだ。
加納さんもケイさんもその力のある人たちだと思うし、今後も笑いの可能性を追求してほしい。
笑いの可能性を甘く見てはいけない。

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