コロナ禍において思うこと

今、コロナ禍について思っていることを書き記しておこうと思います。

コロナ禍においては、元々弱い立場に置かれた人々により強くストレスがかかります。
元々メンタルの問題を抱える人の症状がよく悪くなることも当然に起こりうることです。
たとえコロナウイルスに感染しなくても、コロナ禍によるストレスで元々健康な人でも調子を崩しかねない状況です。
コロナに感染することを心配しすぎて、自分のメンタルの健康を損なってしまっては元も子もありません。
心配しすぎて心身の調子を崩すことにも気をつけたいものです。

感染症の歴史は差別の歴史です。
薬が開発されて治る病気になった後も根強い差別が残ったハンセン病差別の歴史を思い出すと、新型コロナウイルスについてもどんなメカニズムでどんな感染経路をたどるのか科学的に正しい知識を身につけることは必要だと思いますが、それだけでは十分ではないとも思います。

差別の根底には不信感があります。
コロナ禍によって、人が人を信用できなくなる事態が危惧されます。
県外ナンバー狩りのような現象など見ると、原発事故の際に福島ナンバーの車が差別されたことが思い出されます。
自粛警察のような連中が蔓延る様子を見ても、戦時中の草の根のファシズム社会の再来を思わざるを得ません。

ファシズムの根っこには、不安があります。
自分の不安感を紛らわすために、より大きい力にすがったり、弱いものを虐げたりします。
こういう状況なので、不安になるのは当然のことです。
不安の原因をしっかり見つめて、慌てず冷静にできる対策をすることです。

感染対策の基本は、人との距離を開けることと、手をキレイにすることです。この二つだけにしっかりと気を遣って、過剰に心配しすぎることなく、心身の健康に気を遣っていくことが大切です。

今我々にできることは時間稼ぎです。新型コロナウイルスの薬やワクチンが開発されて、治療法が確立されて普通の病気と同じになるか、あるいは自然と感染が広がり8割以上の人が免疫を持つようになるまで、例えば2年間ほどの間は、今までより気をつけて、なるべく健康を保つことです。

歴史上、人類は数々の災害に襲われてきました。感染症の大流行も何度もありました。その結果、社会の形が変わり、歴史が動いたこともあります。
今回のコロナ禍は、100年前のスペイン風邪以来のパンデミックだとの声も聞こえます。

パンデミックも自然災害です。
日本では東日本大震災以来の大災害でしょう。

東日本大震災のときには、これだけのことが起きたのだから、さすがに日本も変わるのではないかと思いました。
被災からの復興や原発社会からの脱却のために、みんなで協力して助け合って進んでいくのではないかと思いました。
格差社会で地方を切り捨て、リスクを押しつけ、弱い立場にいる人に犠牲を強いるような社会のあり方を見直すような方向に向かうのではないかとも思いました。
そして、今までの生き方をも考え直して、より人が人を大切にするようになるのではないかと思いました。
今となっては全て幻想でした。

結局、日本は震災復興後のより良い社会を構想することには失敗したと思います。
ましてや安倍政権などという巨悪が登場して、悪夢のような時代になってしまいました。こんなに悪い世の中になるとは正直夢にも思わなかった。

今回のコロナ禍を乗り越えた後には、今度こそより良い社会を作り上げなければなりません。
コロナ禍という同じ災害を乗り越える仲間として信頼しあい助け合って進んでいけるかどうか、今の時期をより良い社会を作っていくため、より良い人生を生きていくための準備期間とすることができるかどうか、今の私たちの行動にかかっているのではないかと思います。

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