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Cry baby

気付けば私は真っ裸で、初めて会ったその人の目を見上げ乍ら、ぼろぼろとみっともなく泣いていた。

まだ肌寒い季節だったと思う。当時の川崎までの道程、決して忘れてはならないのはイヤホンだった。見知らぬ誰かの通りすがりの言葉が、無造作に針のように胸に刺さる。日常の音が不協和音の様で、息苦しくなる。診断を貰わずとも、鬱病なんだろうなと何処か冷静な自分が見下ろしていた。

「この仕事、実は鬱病のリハビリで始めたんです」

大抵の人は目を丸くする。え、どうゆうこと?

「多分、私にしか使えない荒療治だと思うんです。この仕事が好きで、仕事のスタイルが性にあっていて、借金も少しあったし、引きこもっていて体力がないから週5勤務とか出来ないし。」

人の多い所に出てゆけなかった、電車にも乗れないこともあった。一石四鳥。

「それに、風俗やってたって言うのにデリヘル止まりって、私の中でモヤモヤしていて。どうせなら、ソープまでチャレンジしてみたかったんですよね」

五鳥なのかもしれなかった。無理に働いて悪化させるより、自分のペースで、自分を大事にしながら働きたかった。私にとっては、私を大事にするというのはこういう事だった。

どうしてこの仕事を始めたの? 訊いていい事なのか、探るような視線を向けつつ訊ねてくれたお客さんには、皆に同じように答えた。そして、その時も同じように答えたのだ。「失礼しますね」と挨拶し乍ら、半分空けられた浴槽にちゃぷんと脚を沈める。

「大丈夫だよ。君なら絶対大丈夫」
「俺も鬱だった事あるから分かる。どうか焦らないで」
「鬱っぽく見えないけど。真面目な人がなるって言うし、あんまり無理しちゃダメだよ」

沢山の言葉を貰った。働き始めて、徐々に元気を取り戻していった私は、軈てイヤホン無しでも通勤出来るようになっていった。

「ささらさん。辛かったと思う。でもね、自分のことを信じることをやめちゃ駄目だよ。辛くても、押し潰されないで、自分を真っ直ぐに見て、信じていたら絶対に大丈夫だからね」

それこそ真っ直ぐな言葉だった。裸の相手と浴槽で向き合い乍ら、気付けば視界が歪んでいた。湯煙よりも歪んだ景色と、お風呂より少し低い温度が肌越しにじんじんと心の奥まで伝わった。

あの時のお客さんが今どうしているか知らない。ゴルフの話をよくしてくれた彼に、今一度お礼を伝えたいのだ。元気になったよ、と、再び裸で抱きしめ合いたいと思っている。そしてそれが叶わないだろうことも、分かっている。

出勤前に飲むコーヒー。ごちそうさまです。