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ソープの神様

吉原に神様は、いると思う。


時折、少し家を早く出て、入谷駅から歩いて向かうことにしている。千束三丁目(所謂、吉原と呼ばれるエリア)に差し掛かる手前に、大きな弁財天像が立っている。吉原弁財天。浅草七福神の一つ。

社務所のある本宮より、弁財天の微笑む奥宮が好きだ。秋には曼珠沙華が多くの仏像を囲って咲き乱れる。社のところの弁天池には、春夏秋冬変わることなく綺麗な鯉がゆったりと泳いでいる。小さな小さな池だ。​────かつて、関東大震災で逃げ遅れた多くの遊女達が身を投げ死んで行った池の名残りだ。
   


いつ、とは決めていない。ふと思い立ったら、神社に出向いて本坪鈴を鳴らして手を合わせる。無数の小さな鈴が立てる高く小さな音の集合が心地良い。千円札を一枚、賽銭箱へとそっと落とす。一歩下がる。柏手を打つ。心の中で述べる言葉はいつも決まって、「ありがとうございます」だ
 
  
  
  

…偶然、なのだと思う。コンディションが振るわない日はもちろんあって、そういう日はどうしてか、体力を使わないプレイスタイルのお客さまや、いつもより多く待機時間があってくれる。もしそこに何かの計らいという物があるなら感謝したい。神様を信じているかと問われれば首を縦にも横にも振れないが、感謝の先をこの弁財天に定めることにしている。

  
    


…………のだけれど。この度、実際に神様が居るというエピソードを聞いた。
    

   
私達キャストが互いに言葉を交わす機会はあまりない。どんな接客や会話を部屋で織り成しているのかも分からない。だからたまに、お客さま経由でそれを聞くと、少しだけ身を乗り出して聞き入ってしまう。
    

「大変なお客さんもいるんだってね」
    

たいへんなおきゃくさん。心の中で反芻する。記憶を辿る。このお店に勤め始めて一年と数ヶ月、勿論出勤は少ない方だけれど、そんな"たいへんなおきゃくさん'"なんて、居ただろうか。


「〇〇ちゃんに前に入ったんだけどさ。僕の前のお客さんが大変だったみたいで、その流れで色んな話を聞いたんだ」
    
   

その人から聞いた〇〇ちゃんの話を聞くとこうだ。○○ちゃんは店から信頼されている、「ハッキリと意思を表明できる」という点で。言わぬが花ではない、それはただの痛みに耐える泣き寝入りになってしまうのだ、この世界。だから、たまに彼女に振られるのだそうだ、審議の必要なお客さん改め、"たいへんなおきゃくさん"が。



どんな人が来ようと、縦横自在に対応し、そして一人のキャストとして結論を出す。ある時、キャストに手を挙げたお客さんが居たらしい。そして彼女は審議した。時間いっぱい、責める暇も手を出す暇も与えないほどに責め続け、そして出した結論は、「金輪際、出禁です」だったそうだ。
  

    
   


聞いた話なので真偽は私には確かめられない。けれど、火のないところに煙は立たないのと同じように、私の知らないところで狼煙を上げ戦ってくれた人がいるのだ、きっと。そして私の知らないところで傷を負って庇ってくれたキャストがいるのだ。​───────ああ、それこそあの吉原神社奥宮で無言で手を差し伸べる神様みたいだな、と思った。


   
   
   


この場を借りて、お礼をば。

私が"たいへんなおきゃくさんなんて居ませんよ"と言えるのは、あなたのようなキャストさん達のお陰です。ありがとう。

出勤前に飲むコーヒー。ごちそうさまです。