台北旅行 一日目③ 龍山寺周辺散策前編

見出し機能があることを今知りました

 ひとまず龍山寺をあとにした3人。無計画でちょっと手持ち無沙汰なので、駅から足をのばして周辺を散歩しようということに。まずは、朝だったか前日だったかは忘れたが、同期が地元図書館で借りてきたという「地球の歩き方」2、3年前の版で、龍山寺周辺のおすすめとして紹介されていた、「胡椒餅」を食べに向かった。掲載されているその胡椒餅の店は、どうやら胡椒餅発祥を謳っているらしい。 
 人通りの多い小道を少し進んで角を曲がり、さらに薄暗い路地へ少し入ると目的の店があった。いかにも逞しい商売人といった風情のおばちゃんと、手伝いのお兄ちゃんが忙しそうに商品の準備をしていた。おばちゃんは、我々を見るなり「あと40分くらい!」となかなか流暢な日本語で伝えてきた。地球の歩き方にオススメされては、我々日本人はじゃあとりあえず行ってみるかと考えてしまう。その結果がおばちゃんの流暢な日本語なのだろう。地球の歩き方が、日本人の海外旅行を支配しているのだ…。
 それはそうと、たしかに、11時まえくらいだったので、軽食の店に来るには少し早かった。40分後に出直してこいという意味かな?と自分はまごまごしているうちに、あとの2人がふつうに胡椒餅3つの注文をして、待ち順の数字が書かれた小さな丸い板をもらっていたし、すぐ後に来た近所のおじさんらしき人も軽快に注文してサッと丸板をもらって立ち去っていた。

 40分放り出されたので、仕方なく小腹がすいたまま周辺の散策へ戻る。道路を挟んで反対側に、ナントカ市場と看板の出ているアーケード街があった。狭い通路の両側に、小さなスペースが区切られて、びっしりとお店が詰まっている。八百屋、肉屋、魚屋、お惣菜、お菓子、と食材・食品の市場のようだった。八百屋の野菜は、日本で見るものと似ているが少し違った雰囲気だった。丸々とした青梗菜の親戚が印象に残っている。トマトも大きめだがすこしいびつ。巻き寿司を売る店も何軒かあった。すれ違うのも難しいくらいの狭い通路を、ひっきりなしに人が往来していたので、立ち止まって買うのにあたふたするのもなと遠慮してしまったが、食べてみればよかったと後悔している。
 ちなみにこの種の後悔はこの後もいっぱい出てきます。もっと全力で旅の恥をかき捨てていくべきだった。

なんかわかんねえけどありがたく思っちゃうものって、あるよね

 市場を出た後は、路地をくねくねと歩いて町の雰囲気を味わっていた。通る路地はただの生活空間で観光地的なものは一切ないし、すれ違うおじさんたちも怪訝な目でこちらを見てくるので、小心者の私はすでに不安だった。とうとう、アパートと、まあアパートはともかく、ちょっと傾いているようなバラックにはさまれた道を目の前にして「大丈夫かなこんなところ通って…」とビビり散らしたが、2人には笑われてしまった。実際普通の住宅街だったし、思い返せば返すほど、そんなビビるほどの場所でもなかったなと恥ずかしくなる。
 
 そのあやしげなバラックと、立派だが古風な建物に囲まれるようにして、とても大きな樹が立っていた。名前はわからないが、腕か脚くらいの太さの幹が何本もうねうねと絡まったように見える、太くて大きな樹。正面にまわると、その古風な建物は、その樹をまつった祠だったのである。
 たしかにご利益のありそうな樹であったので、それが生活空間の中に立派な祠とともに溶け込んでいて、部外者ながらもありがたさをひしひしと感じた。
 線香も立っていたので、ありがとう料として自分も線香をあげていけないかと思ったが、特に売っているようなものも、お金を入れるような箱もなかった。

こんな旅らしい出会いがあっていいのか

 ぐるっと回るようにして地下鉄龍山寺駅周辺まで戻ろうとしているとき、信号待ちをしているときだったか、突如背後から中国語で話しかけられた。ノッポで眼鏡の青年が、こちらの困惑をよそにさらに話しかけてくる。うろたえていると、青年に付き添っている年配の女性が、流暢な英語で「あなたたちは日本人か、と聞いているのよ」と通訳してくれた。「そうです日本人です」「日本のどこから来たの?」「東京です」などと、ひとしきり話すと、青年は満足げな笑顔で、拱手して「旅を楽しんでください」と我々を送り出してくれた。
 あまりに唐突に、まるで知り合いのように話しかけてきたし、しかし年配の女性も慣れたものといった対応であったので、おそらく何らか、興味や行動をおさえられないような障害のある青年だったのだと思う。その仰々しい拱手と誇らしげな笑顔は今も忘れられない。

 龍山寺駅へ戻ってきて、地下の商店街と例の「龍山文創基地」を見に行った。地下1階が商店街で、そのさらに下に「文創基地」があるようだった。商店街は、龍山寺駅周辺の客層を反映して、おばさん向けの服や、年配者向けの上品で高そうな宝飾品、マッサージ屋さんなどがあったが、人もテンポもまばらで少し寂しかった。特に気になる品物もないため、奥へ進んで階下の「文創基地」へ。エスカレーターを降りるとやや薄暗く、だだっ広くて何もないエリアが出迎えてくれて、不良でも集まってそうな雰囲気だった。ところがよく見ると、そのエリアの壁いちめんにミラーが貼ってある。若者がダンスを練習する場所だったのだ。まだ昼前で誰も集まっていないだけで、暗くなったらまた見に来ても面白いかもねと話した。
 ダンスエリアからは通路が伸びており、その両側にテナントのように使えるスペースが並んでいた。人の気配がなく、本当に「文創基地」なのか、失敗行政かなといぶかしんでいたが、少し進むと、手作り雑貨を売るスペースや、高齢者や障害者が集まってお茶しているコミュニティスペースがあったり、なんか偉そうな画家の画展があったり…
 なんだここはと疑問に思わされた空間もあった。何も入っておらず向こう側の通路も丸見えの暗いスペースに、奥側に一枚垂れ幕がかかっている。つまり、垂れ幕の裏側を簡易な「裏手」として使えて、両側の通路から客も役者も好きに出入りできる舞台だ!とピンと来た時には、そのアイデアに脱帽した。すぐ近くのスタジオのようなブースでは、大学生ふうの男女数名が演劇の稽古をしていたし、その隣では大道芸サークルが、打ち合わせをしていた。
 「文創基地」が思った以上に文化的なエリアとして機能していることにちょっとした感動を覚えたし、先輩がそこを評して「ペルソナのコミュって感じやね」と言ったのは実は旅の間じゅうずっと心に残っていた。

 まあもういい時間だし胡椒餅を受け取りに行こうと戻ろうとして、いったん地下街のの公衆トイレによると、こっちを見てニコニコ手を振る人が。さっき話しかけてきたあの青年であった。この辺の人みんなここのトイレに寄るんだな。

胡椒餅との格闘

 結局、胡椒餅屋さんに戻ってきたころには一時間くらい経っており、店もますます盛況になっていたところであった。丸板と引き換えに、ビニール袋 に紙包みを3つもらった。店のおにいちゃんは、窯の内壁に生地を張り付けるようにして焼いていた。ナンに似ているなと思った。
 地球の歩き方に載っていた写真は、小さくてよく見えなかったので、もらうまではなんとなくバンズにひき肉が挟まったようなものをイメージしていたのだが、包みから出てきたのは焼いた肉まんといったものであった。

 包みからアツアツの胡椒餅にかぶりついたが、中の肉はもっとアツアツだし、くず肉の割にはやけに噛み応えがあるしで、見た目のファストフード感に対して、食べるのに結構苦戦した。肉の脂の甘みが、外パリ中モチの生地と相性抜群なのは間違いないが、そもそもの味付けが無いに等しいくらいの薄味で、「熱いなあ」「甘いなあ」「スパイスの香りは立っている気がするなあ」の3つの感想をぐるぐるするだけで、特別おいしいとは、思えなかった。

 ところで、この胡椒餅屋さんが入っているような裏路地や生活道路は、ほぼ例外なくスクーターの路駐で余計に狭くなっていた。東京の下町のように、自動車で通り抜けるには不便な細道がかなりあることからも、市民の足としてスクーターが選ばれているのだろうと思った。周りから見えにくい裏路地は、実質駐輪場として機能していた。我々が店の近くで胡椒餅を立ち食いしている間にも、おじさんがスクーターを停めにきてどこかへ去り、5分後くらいにまた帰ってきてスクーターに乗っていた。「店舗や家の入口・通用口の前なので路駐しないでください、謝謝」という貼り紙はどこでもよく見かけた。そうやって「自衛」しないとドカドカ停めてるし、でも貼っているところにはちゃんと誰も停めていない。たぶん路駐関係の法律や条令がきびしくないんだろうし、そのような当たり前が日本と違うだけで、モラル自体は結構高いように思えた。
 


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