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ラグビー日本代表に伝えたい「ありがとう」。

ラグビーワールドカップ2019日本大会がおわった。

ついに、ほんとうに。これだけ短期間で日本中を熱狂させることができたラグビーというスポーツに、すこしでも関わってきた人間として、これほど誇らしいことはなかった。

これまでラグビーのことを「え、痛そう‥‥」とか「ルールがイミフ!」と言っていた人たちでさえ、いまや「ラグビー、最高!」と言っているのだから、ぼくらみたいな、もともと「ラグビーとは人生そのものである」みたいな暑苦しいことを言っていた人たちが、どれだけうれしいか、おわかりいただけるだろうか。「ラグビー、ん最っっ高!!!!」である。

このラグビーワールドカップ2019という大会は、ラグビーのいいところを、あらためて教えてくれた。

これまで、ぼくらラグビーファンからすれば、「ラグビーワールドカップ」といえば、「遠い国のお話」だった。それが、今回大会は、家から1時間足らずで、あの「テレビの向こう」にあったワールドカップを観に行けてしまったのだ。

しかも、「ファンゾーン」と呼ばれる、ただラグビーを観ながらビールを飲むだけの異次元空間において別会場で行われている1試合目を観戦して、そのあとちょっとバスに乗って、その日の2試合目を現地のスタジアムで生観戦できた。思い出すだけでも、しあわせだった。

そして、スタジアムに行けば、フランスを応援する人たちの横に、アルゼンチンを応援する人たちがいる光景を目にすることができた。「くぅ〜!これなんだよなぁ。ラグビーって」とアゴをちょっと出しながら言った。

敵も味方もごちゃまぜになって、一緒にビールを飲みながら、いいプレーにはお互いに拍手をする。そういう気持ちのいい光景を見られただけで、多幸感というのだろうか、「世の中って、きれいごとみたいなモノが成り立つんだなぁ」と心底思えた。人とわかり合えることのしあわせ、というのでしょうか。

ところで、世の中でだんだんラグビー熱が高まってくるにつれて、こんな質問を訊かれることがありました。

「どうして日本代表に外国人の人たちがいるの?」

そのたびに、ぼくは、こんな説明をしていました。

「あら。いい質問ですねぇ〜ありがとうございます。あのですね、ラグビーって、『ネーション』じゃなくて、『ユニオン』なんです。ミニオンじゃないですよ。ユニバの。それはさておき、『ユニオン』っていうのは、つまり、その国を愛する仲間たち、ってことです。反対に『ネーション』っていうのは、いわばその国に属する国民や民族たち、ってことです。ラグビーは、国籍や出身地に関係なく、体型も皮膚の色もちがう人たちが、みんなでおなじ国歌やラグビーアンセムを歌って、『ユニオン』でいましょうや、ってことなんですよ。だから、日本ラグビー協会も『JRFU』なんです。ジャパン・ラグビー・フットボール・ユニオン』。『Association』の『JRFA』じゃないんです。これは世界中すべてのラグビー協会共通なんです」

後半はほとんどの人が「ハナシなげーよ」と聴いていませんでしたが、ぼくはこんなふうに説明していました。

先ほどお話したとおり、スタジアムに行けば、フランスを応援する人たちの横に、アルゼンチンを応援する人たちがいる光景がありました。それは、応援するラグビーファンたちもみんな、ラグビーを愛してる仲間、「ユニオン」でつながっているからなんですよね。

ですので、今回のワールドカップを観た中高生が、「日本人初のオールブラックス(ニュージーランド代表)」になる日も近いと思います。

ちなみに、ぼくはこのラグビーワールドカップ2019を、

・スタジアム観戦
・ファンゾーン観戦
・スポーツパブ観戦
・自宅観戦

これら4つの方法で観たのですが、どれもそれぞれのたのしみかたがありました。

・スタジアム観戦
→とにかく興奮の雰囲気を味わえる

・ファンゾーン観戦
→気軽にラグビーのある非日常を体感できる

・スポーツパブ観戦
→外国人とラグビー文化を分かり合える

・自宅観戦
→ラグビーそのものをたのしめる

‥‥このような感じなのですが、ホンネを言うと、「よく見える」「すぐ帰れる」「しかも低コスト」の自宅観戦が、個人的にはよかったかもしれません‥‥。

さて。

それはそうと、いよいよ、本題です。

「ふぁっ?!」と思われたかた、すみません。

まだ本題ではなかったのです。TBS日曜劇場『ノーサイド・ゲーム』の冒頭くらい長めのオープニングですみません(音楽が流れてタイトルが出るまでやけに長かったなぁ)。

ぼくはここで、ラグビー日本代表のみなさんに「ありがとう」を伝えたかったのです。名付けて、

ラグビー日本代表に伝えたい
たくさんの「ありがとう」。

です。では、ひとつめ。

「ラグビーを観ることへの抵抗感」をなくしてくれて、ありがとう。

これまで「ラグビー観戦」といえば、「ルールがわからない」「痛そう」という大きな2つの壁が赤木と魚住の両センターのごとく立ちはだかっていた。それを、2019年、ついに超越できた。

ぼくは、これまでもよく「選手だって、はじめからルールなんて教わってないですよ」とか「とにかく2回観てみればなんとなくわかりますよ」とか「はじめて野球観戦するときルールブック読みますか?」と屁理屈をこねていた(でもホンネ)。

ところが今回の高視聴率の結果をみてみると、「こんや、テレビでラグビー日本代表の試合あるってよ」といわれたとき、「お、じゃあ観ようかな」と思う人が増えたんじゃないかと思うのだ。

もっと言えば、「実は、ラグビーやってたんです」という「隠れラグビー経験者」たちの告白への抵抗感もなくしてくれた。なんというか、つまりラグビーをやっていた自分を誇らしく思えるようになったのだと思う。まさしくぼくがそうだったように。

つぎに、「競技そのものの魅力を知らしめてくれて」、ありがとう。

ジャパンが大躍進している大会期間中、人に会ってラグビーの話題になるたび(それもすごいことなのだけれど)、「好きな選手はだれですか?」と訊いていたのだけれど、なんとまぁ、「好きな選手」が実に多様になったと思うのだ。

これまでだったら、すらっとした、いわゆるイケメンのバックスの選手の名前が挙がることが多かったように思う。けれど、今回はちがった。「リーチ!」「笑わない男!」「ジャッカルの人!」「ドレッドのブルマ履いてる人!」といったように、フォワードの人の名前もたくさん出てきた(もちろん、バックスも)。

これは、いわゆる「イケメンがいることがスポーツ競技における人気の条件」という従来の常識を壊したんじゃないかと思う。「スクラムって面白い!」とか「ジャッカルってすごい!」とか。つまり、「流行」(人というブーム)ではなく、「不易」(=競技の魅力そのもの)の部分でファンを獲得した。これ、けっこうすごいと思うんです。

最後は、「日本中のこどもたちに『真似したい』と思わせてくれて」、ありがとう。

ラグビースクールに行かずとも、近所の公園で「ジャッカルぅ~~~!」とサッカーボールを取り合ったり、「田村ぁ~~~」とサッカーボールを蹴ったりする光景を、ぼくは実際にこの目で見た。真似するということは、それが憧憬だろうが揶揄だろうとも、興味と関心があるということ。

ちなみに、ぼくが見たその公園の広場では、はじめはいくつかのグループがサッカー遊びをしていた。けれど、ある男の子が突然「ラグビーごっこ」をはじめた。すると、みんなが集まってきた。うれしくて、ぼくはたまたま自分の持っていたこども用の4号球ラグビーボールをあげた(どうしてお前はボール持ってんだよ、という話はまたこんど)。

そしてパスやキックの遊び方を教えてあげた。10分くらい経ったら、ぼくも交えてみんなで「ラグビーの試合ごっこ」がはじまった。いま、こうして思い出していても、あの日の気持ちは忘れられない。うれしかったなぁ。


大会期間中に感じた
たくさんの「ああ、いいなぁ」。


そんな。まるで世界を変えてくれたようなきもちにさせてくれたラグビー日本代表のおかげもあって、この夢のような44日間のあいだにたくさんの「ああ、これ、いいなぁ」にも出合った。

まず、「ああ、日本代表ジャージ、いいなぁ」。

とにかくカッコよかった。「兜」がコンセプトというのも日本らしさがあったし、今回はじめて「和柄文様」が全面にグレーであしらわれていたのがよかった。ニュージーランドのラグビーチームのジャージには、よく民族のタトゥー柄があしらわれていてそれに憧れていたけれど、まさか、日本には伝統文様があったとは。

このジャージが日本の快進撃とともに、ものすごく売れたらしい。そこには「ああ、パブリックビューイング、いいなぁ」があったと思う。予選プールが進むにつれて、日本列島のあまりの盛り上がりに「急きょ、PV開催決定!」というまちがたくさんあった。これも画期的だったと思う。

そして、このパブリックビューイングという「ジャージを着ていく場所」があるおかげで、自宅観戦とはちがって「みんなと一体感を得たい」という動機が生まれて、「じゃあ、買おっか」と購入を決意した人が多かったんじゃないか。

つぎは、「ああ、SNS、いいなぁ」。

今回の大会でおどろいたのが、大会公式SNS(TwitterやInstagram)の「スピード」と「クオリティ」。さっきスタジアムで起こった劇的なプレーが数分後には気の利いたコメントとともに全世界へ投稿されているスピード感。

筆や伝統色といった日本らしさが尊重されたデザインや、ユーモアと親しみやすさあふれる映像の編集のクオリティレベル。そのどれもが、多くの「にわかファン」にもよろこばれたんじゃないかと思う。

ちょっと関係者の方に聞いたのが、大会本部は基本的には「すべて現場に選択させる(決断させる)」というスタンスだったらしい。だから、スタジアムから送られてくる写真や映像素材を、すぐに現場のスタッフが取捨選択して、現場の判断で公式SNSにアップしてもいい、と言われていたそうだ。「事件は会議室で起きてるんじゃない!」の青島刑事もよろこんでいることだろう。

そこで思い出されるのが、「ああ、運営の人、いいなぁ」である。

ちょっとくらいの雨や雪が降ってもラグビーというスポーツは試合決行である。

どうしてこんな時期にわざわざやってくる?という台風に対して、数日前に「開催中止」を決めた。毅然とした態度で大会規則に従って、数日前に「中止」を決めた。

小学校の運動会の「中止」とはレベルがちがう。延期はない。チケット払い戻しで売り上げは落ちる。その日のために準備をしてきた選手、ドキドキしてきたファンやボランティアの人たち。みんながこの日のためにやってきた。それにもかかわらず、だ。

結果的に、台風は直撃したけれど、もし中止にしたその日の空が雲ひとつない青空だったら‥‥。そんななかでも、当日の朝に「出社は各自判断で」と曖昧な連絡をするような日本企業は、この「ワールドカップの試合中止」というニュースに勇気をもらったと思う(「果たして台風、くるの?こないの?」というサイドストーリーも、日本代表戦に限定していえば、この大会を忘れられないものにしてくれた)。

ほかにも、海外から日本にやってきた人たちは、日本をものすごくほめてくれていたけれど、ぼくは、「ああ、外国人ラグビーファンも、いいなぁ」とも思った。外国人から見習うべきところがたくさんあった。

そのひとつが、「サッと御礼を言う」だ。日本には「お辞儀」という寡黙な形式美があるけれど、外国人のみなさんは、ビールを受け取るときは店員さんに、バスを降りるときは運転手さんに、飛行機を降りるときはキャビンアテンダントの方に、例外なく「Thank you」と笑顔で声をかけていた。しかも、サッと。

あの身体に染み付いた動作のような「Thank you」は憧れました(日本語の「ありがとうございます」は、ちょっと長いんだよなぁ)。


どうしてラグビー日本代表は、
これほど強かったのだろう。


ジャパンが、なぜこれほどまでに強くなったのか。これについては、プロのラグビージャーナリストのみなさんが専門的な戦術やチームづくりなどについて書いてくださっていると思うので、ぼくは、あえて、すこしトンチンカンなことを言いたいと思います。

「ラーメンを食べなかったから」

冗談のように聞こえるかもしれないけれど、ニュージーランド代表の選手たちは、ぼくの知ってる限りでは試合のある週にでも、しかも試合直前にも、コッテコテの豚骨ラーメンを食べていた。もちろん脂分と塩分のせいだけで4年間積み上げてきたパフォーマンスが低下することなんてない。

ぼくが言いたいのは、「それくらい海外の選手にとって日本という国は極楽のような国」で、おいしいものやたのしいことに気を取られて油断していたのだと思う(ラーメンでは油を補給していたけれど)。

これは、つまり、「日本大会というアドバンテージがあったから」ということ。日本代表の選手にとっては、いつもの景色、いつもの仲間、いつものカフェがそこにある。家族にだって会えるかもしれないし、いつでも食べられるラーメン屋にわざわざ行かなかったかもしれない。

もしかしたら、日本をよく知るエディー・ジョーンズはそこまで計算して選手たちを管理していたかもしれない。「イイデスカ、ラーメン、ダメー!」って。それはさておき、日本代表のみなさんにとって、「日本開催」というのはそうとう有利だったんじゃないかと思うのです。

‥‥と、こう書くと、「おいキミ、2015年の前回大会のイングランドはどうなんだ!」と、どこからともなく声が飛んでくるので、もうひとつ。

「サンウルブズがあったから」

これまでのラグビーワールドカップは、4年に一度の大一番で、はじめて「遠い存在」だった海外の強豪国と「はじめまして」の状態で試合をしていた。そりゃあ、苦手意識というか、「うわぁ‥‥すごいな、コイツら本物だよ‥‥」と思うのは当然だと思う。

けれど、2013年に田中史朗選手や堀江翔太選手が、日本人として初めて南半球最高峰リーグ「スーパーラグビー」にチャレンジした。それから3年後には日本初のスーパーラグビー参加チーム「サンウルブズ」が生まれた。

2015年大会のジャパンの快進撃もあいまって、日本には世界のトッププレーヤーが集まってきた。ダン・カーターというトップ・オブ・トップの選手まで来てしまったものだから、もはや日本の国内最高峰リーグ「トップリーグ」はワールドカップのオールスターマッチのようになった。

これはつまり、選手たちにとっては、そういった世界のトップ選手たちと「敵として闘う」だけでなく「チームメイトになる」ということ。一流のプロラグビー選手と仲よくなるし、どんな日常を過ごしているのかもわかる。

そうすると「外国人選手へのアレルギー」が消えていくんじゃないかと思う。SNSの普及で海外のラグビーやトレーニングの情報が身近になったのも日本ラグビー全体にとってプラスになっているかもしれない。

陸上の世界には「10秒の壁」という有名なエピソードがあって、それまで人類は9秒台には到達できないと思われていたにも関わらず、ひとりが9秒台を突破したその年に続々と9秒台の記録を叩き出す選手が現れた。らしい。

おなじように、「限界」と思っていたことが、あんがい身近なものとして捉えられると、「あれっ‥‥おれもいけるかも」と自信や希望が生まれて、どんどん人は成長するのだと思う。

そういう意味では、世界の強豪国と試合する機会をたくさん創出した「サンウルブズ」という存在は、日本ラグビー界のこの4年間にとって、とっても重要なものだったと、ぼくは思っている。やってる本人たちはすべてが「はじめてのこと」だらけで、大変だったと思うのだけれど‥‥。

そして、最後に、これだ。

「ONE TEAM」だったから。

なぜこれほど強かったのか?それは、1年の半分以上も生活をともにしてきた仲間たちと、まさしく家族のように「ONE TEAM」になっていたのだとぼくは思う。

正直に言ってしまえば、2019年のはじまりのほうは、日本代表は「心配」だった。サンウルブズとの関係性、コーチと選手の関係性などなど。チームの状況にいくつかの不安要素があることは、それとなく耳にしていた。

日本代表、あんまり実践的な試合していないけど大丈夫かなぁ‥‥?ずっと合宿してるけど大丈夫かなぁ‥‥?それが、いちラグビーファンであるぼくの思いだった。

ところが、今でも忘れない。2019年7月27日。

釜石鵜住居復興スタジアムでラグビー日本代表はフィジー代表と試合をした。それを運良くぼくは現地で観戦していた。

「え、家族やん‥‥?」

思わず東京生まれ東京育ちのぼくがそうツっこみたくなるほど、選手たちのプレーは息がぴったりだった。「ここにはきっとアイツがいる」「アイツならこう動くだろう」‥‥目には見えない信頼関係で15人がひとつになっていた。まるでサーカスの空中ブランコのようだった。

ぼくらのような一般人が心配しているあいだにも、リーダー陣を中心に選手たち自身でいろいろなことに取り組んだのだろう(このあたりの裏話はこれから本とかで出てくると思います)。9月20日の開幕戦に現れたラグビー日本代表は、まちがいなく、家族のような「ONE TEAM」だった。


安心してください。そろそろ、おわります。

あらためて、このラグビーワールドカップ2019を振り返ってみて。長いことラグビーというスポーツをオモテウラから見てきた人間として、「ひとつの試合の重み」を国民みんなで共有し合ったこの44日間は、これまで体験したことのない高揚感がありました。

「この試合の意味とは?」ということを国民の多くが興味を持っていた。「勝ち点いくつとれば史上初の決勝トーナメントなんだ?!」と、国内メディアと国民たちがスクラムを組んでいるのを見て、「信じられないことが起きてるな、いまの日本ラグビー界」と思って眺めていました。

あえて言えば、「負けることの意味」まで見い出していたように思います。

勝てば拍手が贈られるのは当然のこと。あらゆるスポーツチームが「勝利」をファンと約束しているはずです。けれど、たとえ負けても拍手がくるような試合、ってあります。

ラグビー日本代表は、悲願のベスト8を果たしました。けれど、それは、「途中で負けた」という言い方もできます。けれど、日本中みんなが、彼らに惜しみない拍手を送っていました。

それは、「全力を出し切った」とか「自分たちの信念を貫き通した」からだったと思うのです。勝ちとか負けを超えたモノをもたらしてくれて、心から敬意と感謝のきもちを伝えたいです。

選手たちの「なにを証明したいのか」が明確だったのかもしれません。「地獄のような約250日の合宿」だとか、「日本ラグビーのこの4年間の歩み」だとか、「これまで犠牲にしてきた家族との時間」だとか、「仲間たちとの絆の深さ」だとか。

あぁ、グビー日本代表に対する想いはとどまることを知りません。ほんとうに、ありがとう。


そして、ぼくは、信じている。


2023年は優勝だ。


ぼくは、信じている。


また日本でワールドカップ、やろうぜ。


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(おわり)



‥‥と見せかけて、最後の「ありがとう」を。


「日本代表」「ワールドカップ」ということばに、「ラグビー」がくっ付くんだと世の中に知らしめてくれて、ありがとう。


(ホントにおわり)