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一行のコピーと20年ぶりの再会。

2019年9月27日。

実家に一枚のハガキが届いたと母から連絡があった。達筆すぎて約85%しか読めないその文章の書き主は「森監督」だった。

ぼくは幼稚園から小学6年生まで「練馬ラグビースクール」という地元のラグビースクールに通っていた。森監督とはその創始者である。懐かしくなってネットで調べてみると、今は「名誉監督」という肩書きになっていた。もう85歳だという。

記憶を辿ってみると、森監督といえばヤンチャな中学生たちを怒鳴りつけていた姿が印象深い。いつもグリーンのRunBirdのウインドブレーカーを着て、グラウンドに落ちている武器になりそうな棒を見つけては振り回していた。けれど、ぼくに対してはいつも優しく微笑んでくれていたように思う(まだ小学生だったからかな)。

届いたハガキの筆跡を読み解いてみると、どうやら森監督はとある新聞で「ラグビーワールドカップ2019のキャッチコピーを書いた人」として取り上げられているぼくを見つけて、嬉しくなってハガキを出したのだという。

ハガキの締めには「顔を出して呉れ」とあった。森監督はどんな顔になっているのだろう。その懐かしい顔を見に、そしてハガキをくれた御礼を伝えに行きたいと思った。

ぼくは中学生になる時に練馬ラグビースクールを辞めた。ラグビーと並行して続けていた水泳に専念することにしたのだ。それ以来だから、かれこれ20年ぶりの再会である。知り合いを通じてグラウンドに行くことを森監督に伝えてもらった。

ハガキが届いて2日後、2019年9月29日。

息子を連れて、自分にとってラグビーの原点と言える場所に足を運んだ。ちょうどラグビーワールドカップの大会期間中だったせいか、こどもがあふれていた。ぼくが当時着ていたのと同じ柄のジャージを着たこどもたちが楕円球を追っていた。この土っぽい感じ、なつかしい。当時と違うのは、女の子の割合が多いことくらいか。

森監督が見当たらないので、保護者の方に訊いてみた。「森名誉監督、いらっしゃいますか‥‥?」「ずいぶん前に校長を引退されてもうグラウンドにはいらっしゃってないですよ」「そうですよね」「あ、私さっき見かけましたよ!」「本当ですか、ちょっと探してみますね」‥‥

いた。グラウンドの反対側にいるのに、すぐにわかった。背が大きくないのは昔からだけれど、思っていたよりもずっと小柄だった。ぼくは嬉しくて駆け寄った。

「森監督、ご無沙汰しております!ゴローです。お手紙、ありがとうございました。母から連絡をもらって、嬉しくて会いに来ちゃいました」

「おぉ、ゴロー。変わってないなぁ。嬉しいなぁ。ゴローは静かでおとなしい子だったんだよなぁ。いつも周りをじっと見てた。その表情をよく覚えてるよ」

「森監督といえば棒を振り回して選手を蹴っ飛ばしてるイメージがありますよ(笑)」

「あはは。もうね、今の時代はああいうのはちがうんだよ。そうだ。実は、高校時代のゴローのプレーを試合会場で何度も観てたんだよ。またラグビーをやってくれてて嬉しかったんだ」

そのあともいくつか言葉を交わした。スクールのコーチたちや古くからいらっしゃる父兄の方々も久しぶりの森監督の登場に驚いて、みんな寄ってきた。そして気がつくと森監督の姿はなくなっていた。ろくにお別れの挨拶もできないままだったけれど、少しだけでも会えて、感謝を伝えられたから満足だった。

森監督が練馬ラグビースクールのグラウンドに来られたのは、その日が最後だったという。年末に体調を崩されて、先週末(2月1日)、お亡くなりになったとスクールのコーチをしている大学の先輩から連絡がきた。

お通夜で遺影を目の前にしたら、涙がこみ上げてきた。すごくいい笑顔だった。ぼくが小さな頃によく目にした森監督そのものだった。こわかった。けれど、優しい人だった。ラグビーを、こどもたちを、心から愛していたのだと思う。その意志を受け継いでいかなきゃと思った。

森監督、ありがとうございました。おつかれさまでした。最後にグラウンドで会えて嬉しかったです。最後まで優しく微笑んでくれて、嬉しかったです。

(練馬ラグビースクール時代のボールを持って走るぼく)