見出し画像

親はどれだけこどものことを理解できているだろうか?

元Jリーガーでユースのコーチをされている方が、こんな話をしてくれた。

「練習中、親御さんたちがこどもに対して『もっとここしろ、ああしろ』『なぜできないんだ!』といった発言がたくさんあって見過ごせない」

まず、親は親で「こどものために」と頑張っているから、頭ごなしに「こどもにアレコレ言うな!」と否定しちゃいけない。コーチもこどもも「うっせぇなぁ!」と思っているけれど、親だって「うっせぇなぁ!」なのだ。

コーチを心から信頼できていないから、アレコレ口を出している可能性だってある。ジーコやペレがコーチで、外から苦言を飛ばす人はいないだろう。

この話をしながら親である自分自身のことも振り返って思ったことは、

「親はどれだけこどものことを理解できているだろうか?」

ということ。

親は、こどもに自分の理想を押し付けてしまうことがある。親自身にコンプレックスのあった人ほど、「できなかったこと」をこどもに叶えてもらいたい、という傾向が強いようにぼくは思う。

こどもは親に褒められたいから言われたことを一生懸命やる。けれど、その子がオトナになったときに、自分の道を自分で決められるだろうか。周りの目を窺ってしまわないだろうか。

周りの目ではなく、本人の心と向き合うこと。

これが、どれだけむずかしいことか。メガネとイヤホンをしながらマスクを取るくらいむずかしい。「他人と比較しない」ということのむずかしさ。自分のこどもを周りの子と比較しないことであったり、親自身の子育てのやり方も他人と比較しないことであったり。

そして、これはスポーツ指導の現場だけではなく、学校でも家庭でも見られる光景だと思った。

「親と子」だけではなく「監督と選手」や「上司と部下」など、立場に「上下」のある関係性だと、どうしても「上から下へ」指示伝達していく構図をイメージしてしまう。けれど、ほんとうに大事なのは「上が下を理解すること」であり、その上で「上が下をその人らしく伸ばすこと」だと思う。

先日、とある幼児教育事業をされている方と会っていたとき、その人がこんなことを言った。

「これまでいろんな親御さんの悩みを聞いてきましたけど、たいていが『正解はなんだろう?』で悩んでいるんですよ。だから周りをたくさん見て、ネットの世界の情報を右往左往している。でもね、子育てに正解なんてないんですよ、本当に。『その子育て、ぜんぶ正解!』なんですよ。ただし、愛があれば」と言っていた。

この最後の「愛があれば」というのが実はミソだと思っていて、「じゃあ、本当の愛ってなんだ?」という話はさて置いておき、『その子育て、ぜんぶ正解!』は、この世の親の救いをつくる、いい言葉だと思った。

SNSとテレビをなるべく見ない。これだけで、ずいぶん自分らしく幸せに生きられるんじゃないか。そんなことを考えている。

(おわり)