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前に進もうとする「勇気」こそが、「挑戦」だと思う。

トップアスリートは、みんなすごい。心からリスペクトしている。例外だっている?ノー。どんな人であっても、だ。たとえ有名じゃなくても、日本代表じゃなくても、ちょっとくらい酒で失敗しても。トップアスリートはみんな、日々プレッシャーや評価と闘いつづけて自分と向き合いつづけている。それでも、どれだけ努力しても「選ばれない」ことがある。

山中亮平が、ラグビーワールドカップ2023フランス大会の最終選考で落選した。白状してしまえば、ぼく自身も「選ばれるだろう」と油断していた。2015年のワールドカップのときにも直前の最終選考で外れてしまったけれど、あのときは今回ほど受け入れられなくはなかった。そのあとも「追加招集男」なんて呼ばれながら、当確線上をウロウロしていて2019年のワールドカップのメンバー発表前は、いちファンとしてドキドキだった。だからこそ、「ワールドカップのメンバー入った!」と電話越しに聞いたときは心底うれしかった。2019年に本大会のあとも日本代表に選ばれていてフランス代表戦(だったかな)にはMVPにも選ばれて、今年も新しい桜のジャージを身にまとっていて、「ヤマナカに決まりっしょ」と思っていたのが正直なところだ。

だから「メンバーから外れた」と聞いて、頭が真っ白になった。

山中本人から電話がかかってきたのは、8月5日のフィジー戦のあと真夜中だった。日付が変わっているのに、あまりに電話がかかってくるので仕方なく起き上がって電話に出た。そこで最終選考で日本代表の33名に入らなかったことを話してくれた。ここでその日の電話の内容や、やまちゃん(もうそう呼ばせてもらいます)の様子を書くのは控えるけれども、とにかく、よく電話してきてくれたなと思った。エネルギーを振り絞って伝えてくれたのではと思う。

いろいろな感情が脳ミソをぐるぐるして、そのあと全く眠れなかった。明け方にすこし寝られて目が覚めたときも「あの話は夢だったんじゃないか?」と何度も本当に思った。

選考についてなにも言うつもりはない。チームにはそれぞれの人の役割があって、選手はプレーすることが仕事であり、指導陣は勝つためのプランを立ててそれに最も適した選手を選ぶことが仕事だ。ぼくは、選手でもコーチでもないから、現場のことを知らない。ただの「ファン」なのだから、誰を選ぶべきだなんて言えない。ここまで残ってきた選手たちは、みんな頑張ってきたと思う。

フィジー戦の夜の電話のあと、LINEで「神戸まで会いに行くよ」と伝えたら、ぼくの住む湘南まで日帰りで来てくれることになった。まずは、うちの6歳の息子と近くの公園でラグビーをしてキック練習に付き合ってくれた。休みの日くらいラグビーボールを触りたくないだろうに、「めっちゃ上手いやん!」「まだ一緒にやりたかったな」と言ってくれて、息子はさらにやまちゃんのことが好きになった。

それから、ふたりで自転車で海まで行って海辺でいろんな話をした。

その詳しい内容もぼくらふたりだけのものだからここには書かないけれど、とにかくやまちゃんの心情を察しながら、「どこまで話してよくて、どこから話しちゃいけないか」を意識して会話した。すべてを賭けてきたワールドカップの夢を直前で失った経験は、ぼくにはない。それがどんな気持ちなのかイメージすることくらいしかできない。へんなことを言わないように探りながら、やまちゃんの気持ちをひたすら聞いた。夜には、ぼくの近所に住むトシさん(廣瀬俊朗)も声をかけたら来てくれた。3人で賑やかな居酒屋でいろんな話をして、やまちゃんは最終の新幹線で神戸に帰った。

前回のワールドカップの2019年からこの4年間、個人として、チームとして、代表として、いろいろあったと思う。家族との時間をたくさん犠牲(という表現は合っているかわからないが)にしてきたと思う。この2023年のワールドカップで日本代表を引退すると3年前(だったかな?)に電話で話してくれていたから、目の前が真っ暗になったと思う。すべてが終わったと思っただろうと思う。ああ見えて気遣いをする優しい男だから、スポンサーやこれまで特集を組んで取材してくれていたメディアの人たちにも、心底「申し訳ない」と思っただろうと思う。ここまで来てメンバーに選ばれないなんて、ワールドカップメンバー発表の日にみんなになんて言おうかと悩んでいたと思う。どんなことを言われるだろうと心配だったと思う。

けれど、やまちゃんは勇気を出した。「2027年のワールドカップを目指す」と決めた。1ヶ月くらい動けないんじゃないかと思っていたけれど、1週間で。

結果がどうなるかなんて、誰にもわからない。けれど、そのプロセスにこそ意味がある。ぼくは「挑戦」というのは、「勇気」だと思っている。人間、生きているだけでつらいことがやってくる。そのつらいことから逃げずに、それを受け入れて前に進もうとする「勇気」こそが、「挑戦」であると。

1998年のサッカーワールドカップでやまちゃんと同じように最終選考でメンバーから外れたカズが『日経新聞』の人気連載「サッカー人として」に、かつてこう書いていた。

「あの1998年、僕は帰国した空港から直行して練習に出た。そこで落ち込んでいるヒマはないと思った。外れたからといってサッカーを取り上げられたわけじゃない。サッカーをやめろと宣告されたわけでもない。今週末も試合はあり、落選したその日だってサッカーはできる」

やまちゃんは、アスリート。夢と勇気を人びとに与えることも仕事のひとつ。たしかに2023年のワールドカップは、これまでのやまちゃんにとっての全てだったと思う。けれど、ワールドカップに出ることだけがゴールじゃない。彼のメンバー発表後の「ご報告」と題したSNSの投稿に寄せられる数多くの人たちからの応援のコメントを見て、ぼくは外野なのに涙があふれてきた。その生き様で、まだまだぼくらに夢と勇気を与えてほしい。

やまちゃんなら、できる。もっともっと強くなるから。