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イルカの死亡についてとこれからのイルカパーク。

イルカパークは2月を1ヶ月間休んでおりました。
開園当初からある古い公衆便所があり、こちらはもはや限界で浄化槽がパンクする前に撤去しておりました。いまはその跡地の整備を進めています。

施設休業の間、トレーナー達には、かわりばんこにレベルを2段も3段も上げるべく、アメリカにある世界最高峰のイルカふれあい施設DRCで、イルカパークの為に特別なトレーニングメニューを組んでもらい、しっかりとトレーニングを積んできてもらいました。日本のトレーナーで、この施設でこれだけ長期のトレーニングを受けたトレーナーは日本でウチの子達だけです。そして、イルカパークは施設としても「世界で初めて」この施設とのパートナーシップが正式に決まり、彼らの持つ独自のトレーニング方法、飼育方法を全て教えてもらいながら、大きな進化を遂げようとしています。

そんな2月下旬。
壱岐ではメスのステラが他界しました。

1月末から体調が悪くなり、約1ヶ月もの間、トレーナー、獣医、スタッフ一同、昼夜を問わず一丸となって、最善を尽くしてきました。アメリカのチーム、世界有数の海洋哺乳類の専門獣医にも相談し、意見をもらい、指示を仰ぎ、治療を試してみました。しかし、助けてあげることができませんでした。

死亡前の血液検査の結果と解剖所見では肝疾患か膵臓疾患であろうとは思われますが、組織片などの分析結果はまだ出ていません。

ステラが太地町からイルカパークに来たのが、2012年。実に7年9ヶ月もの間、イルカパークにいてくれた子で、いまいる「あずき」と一緒に来た子でした。過去、壱岐で捕獲されたイルカを除いたら、イルカパークでの最長飼育記録となります。

昨年の9月から、アメリカで出逢ったDRCのトレーニングスタイルの導入と佐世保市の水族館から新しく来てくれたトレーナーにより、ステラだけでなくイルカ達の動きは格段に良くなり、できることも一気に増え、最近ではお客さんが入江に近づくだけで、寄ってきたり、ケロケロ鳴いたりするようになり、明らかに変わってきてた矢先でした。トレーニングでも日々目覚ましい成長を見せてくれていました。

そんな中、ステラの行動に違和感があり、血液検査をしたところ、肝臓をあらわす数値に若干の上昇が認められました。冬も本番となり、一気に水温が下がったタイミングでもあったので、みんなが一気に緊張して治療に当たりました。

トレーナーも獣医もカフェのスタッフも休日を返上し、毎日水に入り、ステラを取り上げ、体調チェック、給餌、投薬を続けてくれました。
陸上のようにいつでも軽く様子を見ることのできない「海」という環境(これはいつものことですが)をこの時ほど恨めしく思ったことはありません。

飼育下でのイルカの寿命は平均15〜18歳。年齢と言えば年齢ですが、体調が悪くなった時にしてあげられることの少なさ、人間の無力さを痛感しながらも、日々イルカの健康管理とトレーニングを徹底していたつもりでした。しかし、結局リカバリーをしてあげられなかったのが、本当に本当に悔しくて仕方ありません。

私がこの施設に来てから1年ちょっと。
たったこの間に3頭のイルカが亡くなりました。とんでもない数字です。
過去から遡ると、この施設で開園以来、何頭のイルカを殺してしまったのでしょうか…。(僕のようにダイビングのイントラを長年やると、こういう場合「殺した」という言葉をついつい使ってしまいます。トレーナーを傷つけるかも知れないのですが、僕自身イントラをやっているとき、どんな事故であろうとイントラの管理下でお客さんが死んでしまえば、裏では「殺した」と言われていたのです。)

僕はこの殺してきた原因をずっとずっと考えています。
この施設に来て、正直、「動物を飼育すること」くらいはできているでしょう。とタカを括っていました。しかし、リニューアルから1週間そこそこで若い雄のイルカが突然死したときに、え?と思います。そこから急速にはてなが増えていき、自分なりに検証を始めました。

イルカパークは24年ほど前に、壱岐市によって作られました。天然の入江を護岸までして作られています。そこから協議会のような形で実質的には市が直営してきました。最初は壱岐の周りで追い込まれた個体から始まり、市として追い込み漁を禁止してからは和歌山の太地町から購入していました。

イルカパークのような離島の小さな施設は、開園20年以上してもトレーナーの就職先としては中々選ばれません。これまでもようやく来てくれた若いトレーナーにも、まともに教えてあげられる先輩トレーナーがおらず、現場で学ぶスタイル。新卒がほぼ新卒のようなトレーナー達に教えてもらい、その子達が色々試行錯誤しながら飼育をして、時のリーダーが作り上げた極めて個に偏った飼育方法が基準になり、またそのリーダーがふといなくなったら、また最初からやり直し、という繰り返しだったようです。

トレーナーが定着しない、みんな経験が浅い上に、その時々の上に立つトレーナーのやり方でドンドン変わるので、決まった型がなく、歪な進化とガラパゴス化が進みます。さらには過去の詳細な飼育記録など書き方、視点がバラバラで読み解くにも難しい状況です。基本もちろん紙ですし、これまで死亡した個体をベースに次に活かされていることもほとんどありませんでした。僕が見ても参考になる点は見当たりませんでした。また、市の直営のため、期中の予算の確保も難しく、必要な時には手を出せず、結果、普通の飼育施設には当たり前にあるような機材や設備もほとんどありませんでした。

結局、冒頭の「動物を飼育すること」くらいはできているだろう?という僕の目論見は大きく外れ、そもそもの日本にある飼育施設のあるべき姿の基準にも立っていなかったことがよくわかりました。

すっごいわかるのは、誰もふざけてやっていない、ということ。
この20数年間、飼育のことはトレーナー達が必死でやってきた。市は市でできることを必死でやってきたんです。

ただ、純粋に誰も教えてくれる人がいなかった。助けてくれる人もいなかった。ずっと手探りでやってきた。経験をカタチにし、うまく伝えることが出来なかった。想いがあっても、予算をとってこれる人、体勢を変えることができる人もいなかった。ただ文句を言う人はずっといたようで、何もしなくても文句を言われる。変えようとしても文句を言われる。僕みたいに強行しても、当然、文句を言われます。

結果、何もできないままにここまでやってきて、みんなイルカが死ぬたびに心を痛め、もう二度とないように、と涙を堪えて、日々の業務にあたっていたんです。

もっと早く、俯瞰で見れる人がいて、外の世界を拡げてくれる人がいて、ちゃんと教えてくれるトレーナーがいて、みんなで成長できる場所を提供してくれる人がいれば…。
イルカをこれだけ死なせることもなかったと思いますし、なんならもっと大昔に、閉園する、と言う判断だって、できたはずです。

でも、ここまで続いてきて、僕が入ることになりました。
出逢ってしまったのだから仕方ありません。僕の役割はここだな、と心から思いました。
僕のように飼育から離れた視点で冷静に見てみると、上記のような状況…。
正直、ドン底…。どこからでも手をつけられるし、何もないからなんでもできる。

けど、結局どこからやろうか?といったとき、僕は施設全体の雰囲気を変えることと、飼育に関しては、健康管理の徹底を選びました。
それにはまず、トレーナーの成長と獣医さんとの連携を深めること。そして、なるべくいい飼育環境を作ることだ、と進めてきました。

若いトレーナー達は、ちょっとした研修を行っただけで、目覚ましい成長を遂げてくれました。スタッフの人間関係もとても良好で、自分たちの経験の浅さを認識し、他の施設にも積極的に問い合わせをして、教えてもらいながら、過去のリーダー達が作ってきたやり方を「一般的なもの」とすり合わせながら、体制を整えて、ちょっとずつですが間違いなくいい型になってきていました。

日々頑張っている20そこそこのトレーナー達のイイ空気感を感じるほどに、もっと良くできるのでは?と思い、世界で唯一無二の海外の施設の視察を決めました。「とにかく思いっきり勉強しよう!習ってこよう!」と、トレーナーみんなにもかなりのトレーニングをしてきてもらいました。しかも英語で。

とはいえ、トレーナーだけが頑張っても仕方ないので、施設全体で頑張らないと!と、年明けのスタートには、スタッフみんなで「唯一無二の施設になろう!全スタッフがイルカを真ん中に置いて、イルカチームをサポートしながら、各セクションでできることを全力でやろう!」とみんなで意識を統一した矢先の出来事でした。

私はトレーナーでもないし、獣医でもありません。
でも、水産大学で海洋環境と魚類を学び、大学院で海洋哺乳類と海洋環境汚染の研究を行ってきました。人生の半分近い時間を海ですごし、普通の人よりはずっとずっと海やイルカを知っています。今となってはトレーニングについてもかなり精通してきました。
ただ、そんな知識や経験があっても、どうにもならない世界なんですよね。
なんなら、イルカたちを治してあげられるような超能力が欲しい…

ステラまでも失った今、そんな僕に出来ることはなんだろう、と毎日考えています。

着任してから、トレーナーの知識、技術向上に努めてきました。
イルカに頼らない稼ぎ方を考えてきました。
発展途上ではありますが、かなり手応えを感じています。
僕には、死んだイルカ達を無駄にすることはできません。
死んだから代わりを買うぞ!という気もありません。

ただ!!!イルカは群れで生きる動物なんです…雄はあまり群れませんが、雄は雄同士。雌は雌と子供という形で群れを構成しています。飼育下でイルカが一頭になると、不安定になり体調を崩したりすることが多くの施設で確認されています。
このままでも、本当に良いことはありません。
ただ、太地町から新たにとった個体を買う!というつもりももはやありません。(無理矢理、太平洋圏のイルカを日本海に馴致させるのに無理があると思っています)でも、ここでなんとかしてあげないと、今の子達にもいいことがないんです…。繁殖ができればいいのですが、私たちにはまだその力がありません。DRCは多くの繁殖例(26頭いるうち、22頭が施設で産まれた子で、既に三世代が住んでいます)があるので、これもしっかりと教えてもらう予定です。

いま、全国の水族館や飼育施設で、スペースの問題だったり、経済的な問題だったりで飼えなくなった個体がないか、あればその個体を譲ってもらえないか、方々探っています。勿論、その馴致も簡単ではないですが、飼育下にしばらく置かれた個体は、野生から捕獲して間もない、しかも暖かいところから来る個体よりはずっと楽です。少しでいいから個体を増やしてあげて、今のイルカ達の心の健康を担保してあげたいと思っています。

死亡が続くために、管理体制を問われることが多いのですが、今回のステラの死を受けて、イルカパークの医療体制の充実をはかります。まず設備面では、病気のチェックの1番の指標となる血液検査を施設内でできるようにします。(これは前回のイルカの死亡から検討していて、機材などを選んでいたところでした)また、今回の渡航でアメリカの獣医との繋がりもできたので、日本の獣医とアメリカの獣医とでいつでも相談できるホットラインをつくります。このホットラインはなによりも貴重なものとなります。これで日本よりも遥かに進んでいる海洋哺乳類に特化した医療の知見を得られることになります。

これらの整備を行いつつ、当面は2頭のイルカ達と一皮も二皮も向けたトレーナー達を中心に、イルカパークは更に進化していきます。ステラの死を胸に、アメリカで見てきたコトを一気に反映して、更なるイルカの健康管理とウェルネス向上に全力を尽くします。そして、DRCのような施設を目指し、日本で唯一無二の施設になりたい、と思っています。

まだまだ道は始まったばかりです。
今後ともトレーナー、スタッフへの暖かいご声援を引き続き、よろしくお願いいたします。

がんばります!

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