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餓鬼とし往けるものたちへ

お母さんから生まれたこの体、スキだよ。でもわたしはいけない子だからもっと欲しいと願っちゃう。もっとかっこよくなりたいとか、気持ちよくなりたいと思う。

自分の体や両親に感謝するくらいなら、今この瞬間を楽しむほうが先決に思える。感謝の気持ちは忘れないくらいで大丈夫だと。

何事にもいちいち感謝していたら、一生なんてすぐに終わってしまう。行きたい場所にはすぐに行って、感動したら素直に堪能すればいい。
会いたい人にも会って、素直に接する。言いたいことを言って、やりたいことをして、笑って泣いて驚いて感動して。

・・・私って何か変なこと言ってますか?
やりたくないことをしないのは、いけないことですか?

人生楽しいことだけじゃなく、自分が面倒だと思うことや、嫌な事態にもたくさん遭遇する。でも、やりたいことに関係していることであればこそ我慢できる。

つまり、我慢してやりたくないことをした先に、やりたいことがあるなら、すぐにやりたいことをしたいと願うのは変でしょうか?

自由に生きた先を見たいと願う

どんなに綺麗ごとを並べても、どんなに沢山の人の役に立っていても、どんなに心の支えになれていたとしても、それらはすべて欲望。役に立ちたい、救いたい、ぜんぶ欲。

多くの場合、職に就くとか、お金を稼ぐ、自分の成長、テストで良い点を取る、スポーツも。自分の欠乏を満たすための欲。それに気づくためには、自分の心を救わねばならない。

心の救済が訪れた時、すべてに感謝でき全部わかる。できることはただ一つ、自分に誠実に日々を生きることのみであると気づく。

今現在、私たちが見ている世界は、世界のあらゆる側面の一部であり、最も多くの人が見ているのは、一番大きい面積の部分、つまり欲望の部分であるということ。

そして必ず、その他の面積の小さな面を見ている忘我の人たちも少なからず混在し、時代と共にそれぞれの面積が相互に干渉しあいながら変化し、個々の欲望に応じた言動が行われた結果、比較競争の資本主義的で民主的な治世を形成している。

私たちはすでに99%満たされている、だがしかし、愚かにも残りの1%のため、あれこれ右往左往し続けているのだ。

大多数の人々が、衣食住に恵まれているのにもかかわらず、それでもなお、より多くを求めんと欲する。あたかもそれが定めであるように、新たな刺激を求め続けるのだ。

残り1%のために競い争う定め

あなたというパワースポット

自分の欲望をまき散らしたいだけの表現まがいの俗物。
一見かっこいいような、派手でケバイ産物。
わかりやすく伝えようとする創意工夫が真の芸術。

子供が読み手である絵本、絵本なら自分でも作れそうと思いますか?
その気持ちで作られた絵本を読んだ子供たちはどう思うでしょう?

子供たちのことを思うその心が、自分に絵本を作らせる。欲が悪いのではなく、欲望の赴くまま行動するよりも、自分のペースで自分らしくありのまま生きられると言いたいだけ。

欲の先に待ち受けるのは、結局回り道だから。ゴールを設定しない根無し草で行き当たりばったりな人生はリスクという面でいえば危うい、ただ自分がそうしたいと思うならどうだろう。人の役に立つということが、直接的な利益享受となり、より欲深いものとなっています。

自分の家族を守らなければと考えている、でもそれは逆、守りたいと思わせてもらっているのだ。ですから、守りたいではなく、素直に守らせてもらってありがたいと思えた時、自分本来の発想だったり、活力があふれてくる。

その好循環のエネルギーは、とめどなく湧き出すフリーエネルギー。あなたがいる場所こそが、最高のパワースポット。そのことに気づき、周りの全部に感謝できたとき、やってくるぞ、即身成仏、現人神。

無条件の愛は、返す必要のない無条件のもの。
感謝を感じる必要はない、感謝するのが悪いと言っているのではなく、「どうか自分らしくいてください」「自分らしくいてくれてありがとう」ということへの感謝の念、ありがたいと思えるのであればこそ、これから一層自分らしく輝くことで、より無条件の愛を受け取ればいい。

ギブ&テイクに慣れた私たちには、どうしても受け入れがたいことではありますが、自然の摂理というものは本来そう言うもの。

あなたは魂そのもの。あなた中心にエネルギーは渦巻いている。はじめから何かにならなくても、もうずっとあなたはあなたで、生まれながらに最高の状態で存在していた。

自分の周りのすべてが、そのことを物語っていただけ。そして最後に全部思い出すのだ。

いつも本当にありがとう。 これからも書くね。