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正しい選択なんて存在しない

年齢を重ねるごとに選択することが非常に多くなった。
それは就職先だったりするし、住む場所だったり、将来の事だったりする

私の体は1つしかない。
就職先は1つしか選べないし、やりたいことも同時に2つはこなせない。
眠りながら食事をとることも未だに出来ない。
何かを得るためには何かを捨てないければならない。
分かれ道があったら、どちらかの道を捨てなければならない。

そう考えて、選択していった先の未来はどうなるか分からない。
正しい選択の仕方なんて学校の授業では教えてくれなかった。

人生何が起こるか分からない中で正しい選択をすることは
正直言って不可能なことなんじゃないだろうか?

正しい選択だと思っていたことが正しくなかった。
間違った選択だと思っていたことが正しかった。
今の自分はたくさん悩むだろう。
しかし、どうしたって答え合わせは将来の自分がすることになる。

選択するときは、どちらが正しいかなんて分からない。

そこで改めて考えることにした。
正しい・間違ったという判断は、どんな判断基準で判定されているのか?

判定しているのは、
自分なのか?
それとも他人なのか?
はたまた社会なのか?

例えば、私がスポーツ選手とエンジニアのどちらかになろうとする。
悩みに悩んだ末、スポーツ選手として生きていくことに決める。

その結果、スポーツ選手としてたくさんの人と顔なじみになるだろう。
良い成績を残して有名人になるかもしれない。
後世に破られることはない偉大な記録を残して教科書に載るかもしれない。

一方、エンジニアとして顔なじみになる人と出会うことは
無くなってしまう。
自分の開発したサービスが人々の助けになることもなくなる。

想像の範囲の話だが、どちらが正解か不正解なんて
その人自身が決めることなんじゃないかと思い始めた。

たぶん、どちらの選択肢も正解だろうし、どちらの選択肢も間違っている。

結局、選んだ道の方を自分の力で正解になるように
もがいて進んでいくしかできないだろう。
もしかしたら、分かれ道は実は繋がっているかもしれない。

必ず、これからも様々なことを選択していくことがあるだろう。
型にはまった、教科書通りの正解なんて存在しないなら
自分自身の力で正解に変えていけばいい。

そう思えたら選択することがちょっと楽になるのかもしれない。

おしまい

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