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肯定が与える副産物

私は、一年間休学をしていました。

休学するにあたって決めていたことが、「肯定をすること」でした。


私は、昔から斜に構えることが多く(ハスる)、一歩引いた立場で見ることが多かったです。

休学する前に読んだ、「社会人大学人見知り学部卒業見込」の影響もあって

とりあえず、ハスるのをやめて

まずは肯定してみようと決めました。

あくまで、良心に従って肯定はしていますが...


そんなこんなで、いろいろな刺激を受けて生活している中で

どんなことでも、「それは楽しそう!」と言っているうちに

何気ないことでも楽しく感じていることに気づくことが増えました。


周りのことを肯定しているつもりが、

自分自身をいつの間にか肯定し始めていたのです。


以前の私は、周りを嘲笑することで

私自身のチャンスを潰して、自分自身を嘲笑していたんだと思います。


しかし、私は分人主義なので、嘲笑する私も私の一部だと思っています。

あくまで、私が変わったのではなくて、私を形成する割合が変化して

肯定する私の割合が増えてきたんだろうと考えています。


人を肯定することで自分を肯定ができるなんて知らなかったなあ

教科書に書いてくれてれば、こんなに苦労することもなかったのに...


おしまい

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