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拝啓、明日の夕暮れの私へ

このナナメの夕暮れ(文庫版)は、最近発売(2021/12/07)されたものなので本の内容には触れずに感想という名の自意識エッセイをここに残します。
まずは、自身の気持ちを優先して本を読みたい方は、
リンクを保存していただいて読了後、
読んでいただけると嬉しいです。
そして、日曜日の明日のたりないふたり特別版を
見終わった私に向けてバトンを渡したいと思います。
それでは本文に参ります。

導入

読み終わった感想を表すには言葉が拙すぎて難しい。
強いて言えば、「複数の怒り」が大部分を占めていた。
どうかこの部分だけを読んで閉じてしまわないように願いたい。

私も1年半ほど前にナナメの夕暮れを初めて読み、
それから何度も読み返している。
そのたびに過去何十年の生き辛さの理由とこれから何十年続くであろう生き辛さの対処法を1人の芸人の人生から学んで参考にしてきた。
こんなこと言ったら恥ずかしいやつだなって言われるかもしれないけど、このシリーズの本を人生のお守りにしている。

今回の文庫本版では、新しいあとがきと
朝井リョウさんの解説が追加されている。
発売日に書店で購入して大学のトイレの個室や電車の中でわずかに緊張しつつ読見始めた。
懐かしさからはじまり過去を思い出し、そこから変化した感情を感じ、最終的に怒りに繋がった。
その「複雑な怒り」に対して解説していきたいと思う。

エッセイに対する憧れによる私に対する怒り

若林さんのエッセイは情景を
感じさせるような文章になっている。
どんなに日々に疲れていても文章を読むだけで、
まるで文章の中に入り込み実際に体験しているような
感覚に陥る。
これは、私が持つ劣等感や自意識、負けず嫌いの感情が作用してそうさせているかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
どうしても、私のエッセイと比較してしまい
「お前はもっと本気で文章を書いているのか?」と考え始めてしまい、自分のたりなさに怒りを覚えてしまう。
こんな性格だからこそ、色々なものを続けることが
出来たし感謝している。
ここで満足ができるような人間に
私はこの人生でなることはないだろう。

羨ましさからくる私に対する怒り 

若林さんは、今じゃお茶の間のテレビでよく見る存在だ(テレビは持っていない)
ラジオだってとてつもない数字を残して続けている。
エッセイだって出版してたくさんの人に読まれている。
なにより芸人として面白い。
それを改めて実感すると、
私はこの人生の中で何を残せたのかと思ってしまう。
23歳になった私は今まで何をしてきたのか。
忙しいを言い訳にして逃げて続けてきたのではないか?
綺麗な生活に憧れて、本当は好きな泥臭い生き方を隠してきたんじゃないのか?
泥臭く生きて結果が出た人には賞賛を、
結果がないが泥臭く生きている人には冷笑が送られる。
私が憧れる人たちは言葉で表せないとてつもない努力をしている。
まだ断言できる結果が無い自分に腹が立った。

かっこよすぎて腹が立つ(尊敬している)

私は、なんでもすぐ出来てしまうとか顔がイケメンだとかよりも泥臭くて必死に生きている人が好きだ。
エッセイを読んでも、ラジオを聴いても漫才を見ても
若林さんを見てると負けたくないという感情が溢れる。
何者でもない私が言うのは大変烏滸がましいのだが。

このエッセイを読んでも、
俺だってこんなエッセイを書いてやるとか
体中の血が沸騰するような没頭をしてやるとか
自然に対抗心が生まれてくる。 
他の人には共感をして受け入れてくれるのに
自分自身にはストイックに生きている生き様
かっこよくて腹が立つ

最後に

ここまで読んでいただいた方には分かっていただけるように私は自分優先の自分大好き人間です。
どんな事象にも共感した上で、自分だったら何ができるか?本当はこうなんじゃないかと考えています。
時間があったら脳内で自分自身と会話しかしていない人間だからこそエッセイを書いているんだと思います。

今回は、本を読んだときの感情を残すためにも素直にそのまま文章にしてみたので読みにくい場合があるかもしれません。
だけど、今回だけは日曜日に明日のたりないふたり特別版を見た後の自分に向けて残しておこうと思います、

拙い文章を読んでいただきありがとうございました。
感想やあなた自身のたりないふたりに関する感想をいただけると嬉しいです。


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