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情報発信の目的に対する違和感

インプットだけでなく、アウトプットに目を向けよう!
フォロワーを増やすために良質な情報を発信すること
情報発信で稼いだ私のプロフィールを見てください
流行に乗ったものを投稿してバズりましょう

まぁ確かに。分かるけども。いまいち言葉が響かない。

SNSの力が非常に強くなった現代に思う。
バズったりフォロワーが増えることって
そんなに良いものなのか?
どうしても、それらの言葉の後ろに資本主義の影が見えてしまう。
しかし、そんなことを言う私もnoteで情報発信を行っているのは確かだ。

一時期、ブログで良質な情報発信を意識して投稿していた時期もあるが、いつの間にかめんどくさくなって辞めてしまった。
万人受けを狙って情報発信をすると途端にめんどくさくなってしまう。
というか、誰かのためになる記事を書くことでPVを稼げるという一種の脅迫を受けているようだったので
好きになれなかった。

twitterもインスタもフォロワーを伸ばそうとしていた時期もあったのだが、どうしてもむず痒くなってしまう。
「お前みたいな人見知りが
インフルエンサーになんか憧れてんじゃねえよ。」
俯瞰した自分がそういっている気もしていた。

noteも人が知らないことを発信していけばいくほど
フォロワーが増えていくものだろう。
良い情報を発信してくれる人をフォローすると良い情報が手に入る。
しかし、それだと有益な情報が発信されなくなったらアカウントに価値はあるのだろうか。

それってお金を持っている間は人が集まってきて、
お金が無くなると人が離れるものと似ているような気がする。


「フォロワーを増やしましょうという指摘は
一昔前のお金の増やし方の教えに似ているなぁ。」
そんな違和感を持ち、何となく情報発信を続けていた。

私はずっと憧れている。
苦しいことも楽しいと思えて仕事をしている人に。
日々の自己ベストを更新しようとしている人に。
自分が信じた道を突き通して結果を出した人に。

私が尊敬している人は、フォロワーを増やそうとして
その仕事をして生きている人間なのか?
ただ、金を稼ぐために働いているような人たちなのか?(その人の幸せの形は否定していない。)

いや違う。
明らかに何かに熱中している眼をしている。
命を懸けて自己ベストを塗り替えようとしている。
その熱さに影響されて、人は心を動かされる。

6月、明日のたりないふたりという漫才があった。
そこで漫才をしていた憧れの人は命を燃やしていた。
台本を演じているような感じは無くて
ただ自分たちが持っている熱を互いにぶつけ合い、殴り合うように話していた。
目は血走り、声は震え、感情をさらけ出していた。

衝撃だ。
俺は今までこんなに命を燃やしたことがあったのか?

相手の感情をぐちゃぐちゃにする熱意があるのか?
出来ていないからこそ
もっと頭が沸騰するような没頭をしたい。
もっと人の心を動かせるような何かをしていきたい。

もちろん生きていく上でお金は大事なんだけども
お金が絡まった関係じゃ生まれないような居場所を
作りたいと思った。

そうだ。私の感じていた違和感はこれだ。
フォロワーを増やすっていうのは人間関係が薄いんだ。
フォロワーが多いことを自慢するのは、金持ちだと自慢することと同じだ。

ただ、人の好きなものを見たり聴いたりして
それいいよね
え、楽しそう、やってみたいとか
それわかるよ、すごいよねって言ったり
自分の話をひたすらに聞いてもらいたいだけなんだ。

世の中では良質な情報を発信すること
役に立つことを発信し分かりやすく説明すること
情報発信について、こんなことばっかり書かれているけどそうではない。
私は情報発信を通して、様々な人の話を聞いたり自分の話をしたいんだ。

もちろん良い情報を発信することで
その人の人生が変わるなら素晴らしいことだと思う。
有名になりたいから
フォロワーを増やしたいから
スキをたくさんもらいたいから良い情報を発信するなら
私は楽しみを生み出せないだろう。
繋がりやすいからこそ「誰と繋がるか」が大切になるんじゃないのか?

だからこそ、私の内面をさらけ出している記事を読んでいただいてスキやフォローをしてくれた人とは
他のSNSには無い仲間意識を感じてしまう。
(自意識過剰かも)
だって、私の投稿内容に日々の暮らしに
役立つことなんて書いていない。

有名になりたいからやるんじゃなくて、
自分のような人に読んで欲しいから書く
自分の思いを文章にすることが好きだから書く
自分の感情を消化できないからこそ書く

このエッセイも知り合いに見せるとなると恥ずかしい。 
みぞおちを思いっきり殴られたような痛みも感じる。
だけど、この恥ずかしいとか痛いとかの感情を
繋がりやすい今だからこそ
その言葉で片付けずに表現したい。
だって、とうとう自分にも振り回せる武器が見つかったんだから。

俺は誓いました。あなたのように生々しく生きていこうと。自分の為にただそれだけ。どんな形であれ、それが回り回って結果的に誰かを救うことがあるかもしれない。 誰かの為ではないことが、誰かのためになることがある。

私は、二人の芸人と一組のアーティストに
戦い方を教わった。

生々しく生きていこう。
自分のために文章を書いていこう。
自分なりの武器を精一杯振り回して生きていく姿で
私のように救われる人間がいるかもしれないのだから。

最近の情報発信への違和感の答えをこの文章にしよう。
答えが出たならば、もう頭の中では肯定できている。
肯定したならば、もう迷わず進んで行けるだろう。

それでは、素敵な一日になりますように!

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