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それぞれの表現方法

言葉で表現する。
私は普段からエッセイを書きラジオを聴くことが多い。
言葉を聞き、受け取り、自身の考えに昇華する。
だからこそ、思考が偏る。
まるで、旅先のホテルで食べる朝食バイキングのように自分の好みだらけになっていく。
不自由がないのであれば、わざわざ自分の知らないものを取り入れようとしない。
自然に取り入れた言葉が自分自身を形作り染めていく。

こんなことをつらつら書いているが言いたいことは
ダンスの公演に招待され鑑賞しに行ったということだ。

規模としては小さいもので観客は30人ほどのステージだったが私が入場した際には最前列以外埋まっており、
しぶしぶそこに腰を下ろした。
1人で鑑賞しに行ったことと自意識による周りに
見られている感覚からの緊張のせいか
上半身に力が入りすぎて公演が始まる前から
なんだか疲れてしまっていた。
そして、会場が暗転するとともに周囲の視線から解放され、すっと緊張感が無くなると同時に公演が始まった。

「とんでもなくストイックだな...」

最初に感じた感想は動きの軽やかさや速さではなく
表現方法だった。

エッセイをよく書く私からするとダンスは不思議だ。
言葉を使わずに体の動きや表情、時には息を吸う音で
感情を表現し相手に伝えようとする。
踊っている人たちが何を表現したいのか?
服の色の違い、袖の長さは何を表しているのか?
BGM・照明の明るさは何を表しているのか?
ダンスが対称的になっているのに意味があるのか?

メモを取り、言語化したくて堪らなかったが最前列に座っておりここでメモを取ることが公演の流れを壊してしまうと思い脳内に留めることにした。

踊る人が変わると表現方法も変わる。
ダンスを見る経験がないので、少ない知識でダンスについて考えたが驚くことに「分からない」という感想が多かった。

美術館に行ったときに感じる
「これってすごいんだなぁ」と似ている感覚。

日々、物事には正解があるのではないかと考えながら文章を書いている私には新しい衝撃だった。

ダンスを見ても受け取り方の正解が分からなかった。
重さを感じないような軽やかな動きに感心する
激しい動きなのに疲れが見えないことに驚く
動きのまとまりに一体感を感じる。
しかし、それらは表現する上での手段でしかないのでは?と考える。

正解が分からない中、それでも1つだけ理解した。
それは想像させる力だ。

目指している形は演者それぞれにあるけども
受け取り方はあなたに任せます。

いやまてよ....
これってどの表現方法でも共通しているのではないか?
文学は文字を使って想像をさせていく。
ダンスは動きを使って想像をさせていく。
絵は形や色を使って想像をさせていく。

その点で考えると私はダンスの思う壺にはまっているのだろう。

そんなことを考えていると、徐々に会場が明るくなり
少しずつ表れる演者のやり切った顔を見て
なんだか文章を書きたくなった。

常に考え事をしている私だからこそ
振付師の方にどのような世界を想像しているのか聞いてみたかった。野暮って言われるかもしれないけど
私が思った世界観と振付師が考えた世界観を共有してみたい。

文章以外の表現方法に触れて得た気付きが
私に新しい色を与えてくれるだろう。
形は違えど表現者なのだから。

それでは素敵な一日になりますように!

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