見出し画像

俯瞰することは辞められない

今日は友達とカフェで雑談をした。
楽しい話、世間話、時々重い話、色々な話をしていく。
本当に楽しい時間だ。
しかし、時々そのタイミングが訪れる。

目の前の人と話しているようで実は話していない。
俯瞰した自分が、発言に対して指摘をしてくる。
私は、人と会話しながら、もう一人の自分と会話してしまう。

もちろん相手の話を聞きながら
悩んでいるんだろうなぁ
何が言いたいんだろうなぁ
俺だったらどうするだろうか
様々なことを考える。

しかし、ふとしたタイミングで
大層なことを言ってるけど、お前はそんなことを言える人間じゃないだろう
ただ運が良かっただけだろう?
もう一人の私が俯瞰して、私の発言に指摘をするのだ。
大体、その言葉はボディブローのようにじわじわ効いてくる。

人と話し終えてから、1人で反省会をしてしまう。
本当はもっと違うことを伝えたいだけどなぁ
あぁ、本当に言いたいことはこれだったのか...
もう少し別のたとえがあったのになぁ

私は、話すことがあまり得意ではない。
話す言葉に慎重になるあまり、口数が少なくなってしまう。
大人数だと、他の人の会話を聞くのが楽しくなり話さなくなってしまう。

では、どうして話せないのか

私は、言葉が時には凶器になることを知っている。
自分が見ている世界と相手が見ている世界は違う。
言葉一つでも受け取り方が違えば凶器になってしまう。
口から出た言葉が、不意に相手を傷つけてしまうのが怖いのだ。

だからこそ、自分の言葉を俯瞰して考えることができる
文章を書くことが好きになった。
自分の想像を伝えるために多くの本を読むようになった。
アドバイスをするよりもまず共感するようになった。

私は、これからも文章を書いていくだろう。
文章を書くことによって内省し続ける。

斜に構えて、周りを俯瞰して他より優れていると感じることに必死だった
過去の自分に向けて私は文章を書くだろう。

以前、文章によって生きづらさを解消できたように
誰かの生きづらさを解消できるような文章を書いてみたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?