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サービスの進化と私の退化

普段の生活の中で列に並んで待つことがある。
食券を買う時、エレベーターを待つとき
電車を駅のホームで待つとき
コンビニの会計を待つとき

私たち日本人は列に並んでしっかりと
自分の順番を待つことが出来る。

そんな少しの時間、あなたは何をしていますか?
SNS、ゲーム、動画、人間観察、様々だと思う。
ちなみに私は深夜ラジオを聴いています。

私たちの生活で、暇をつぶすことが容易になった。
インターネットが繋がっていれば空いた時間にどんなことでもできる。どんな人とでも連絡が取れる。
どの世界にだって入り込める。
私たちの時間はスマホが普及してからかなり密度が濃くなった。これは人類にとって良い影響だろう。
私もこの恩恵を受けている人間だ。
世の中のサービスは常に進化し続けている。
ますますインターネットが身近になって、これからもっと考えもしなかったサービスが誕生してくるだろう。

では、私はどうか?
私という人間は身の回りのサービスの進化と同時に
ゆっくりと退化しているのではないか?

ある日、友人が何気なく言った言葉が頭から離れない
「現代人は待てなくなっていると思うんですよね」

はっとした。確かにそうかもしれない。
少しケータイの動作が遅くなると少しムッとする。
ひとたび通信に異常が起こるとムッとする。
そんなことが増え始めているんじゃないのか?

何にでも手が届くようになった私からいつの間にか
何もしないという選択肢が消えてしまったのではないか?

革命が起きて生活が便利になった時
それが今後のボーダーになる。
基準点が上がりそれ以下になるとダメ認定される。
これからも更に高品質なスマホやコンテンツを求め続けるのだろう。

しかし、使うサービスは進化し続けても
使う私が進化できていないのではないか。

増えた時間の中で私は時間を無駄にしていないか?
生活が便利になっていくにつれて心のゆとりは増えた のだろうか?
暇な時間に目の前の世界を観察できたのだろうか?
日々のスピードに置いていかれないように必死に合わせていないだろうか?
記録を残すことが目的になって、楽しむことを忘れているのではないか。

これはあくまで私の主観だが、
人はサービスを使うだけでは緩やかに下降していく。
その一瞬では同じ位置にいると思うが、時間が立つと
かなり下降している。

サービスが進化する分、私も進化し続けることが
必要なのかもしれない。
歳をとって新しいものを否定してしまうような
歳の取り方はしたくない。
そのためにも新しいサービスを利用して私というコンテンツを発信する。
情報を受け取り自分の中で咀嚼することで
私だけのものにしていくのだ。
そのために私はエッセイを書き続けるだろう。

当たり前になりつつあるものに疑問を持って考える。
性格上、どんな新しいコンテンツよりも
「考える」という昔から存在するコンテンツの方が
なによりも楽しい。

それでは素敵な一日になりますように!

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