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熊本の小学校の時期の思い出

前回の投稿は追記を重ねて書いていったけど、それに引き続いて、YouTubeにあった、主に2000年前後のプロレスを片端から観ていた。ZERO-ONEが想像以上に熱戦だったし、自分は知らなかった、全日と新日が混然とした交流戦というか、三冠ベルトを巡る熱戦は、知ると知らなかったままとでは大きくベルトに纏わる歴史認識、印象が違っていた。川田利明に凡戦無し。闘魂は猪木イズム、新日本のストロングスタイルを表す形容詞だけど、川田利明こそ闘魂、不屈だと思った。
今は身近にプロレス好きや格闘技好きがいないし、
中学の頃みたいに技の掛け合いとかは出来ないし、それがキッカケとなり、一人で人生について考えていた。

育った家は姉が発言力強くて、
自分が格闘技を何故好きなのかも理解してなかったろうと推測出来るし、
誤解されていた感があり聞いた事はないけど。
顔に傷が付くよ、とかも言われた気がするけど。
女と男とでは物の見方や価値観が全然違うのだというのもあるし、兎に角「浅い」なあと、自分からしたら思ってしまうけど、相手からしたら自分は「甘い」のかもしれない。

何年か前に聞いた話では、猪木祭りに旦那に連れられて行ったりとか、他にも色々あるけど…本来なら自分が行きたかったよ!!
姉は勝手というか、よく分からない(生まれた時からいる、自分の意のままにならぬ存在と言えばいいのかな)

会えば止める人がいないと、まあ必ず喧嘩になるし。でも、距離取ってるので、大人として自分からは大体丁寧語でメールしてます。
生まれ育った環境というものはあり、違う家に生まれていたのなら全然違う人生だった事だけは確かだけど、自分は自分で道を切り拓くべき道に進んだのにも関わらず、流されているなあと反省。

今はテレビ番組の「こんな所に一軒家」みたいな家に住みたい。三船敏郎さんは酒乱で有名だったけど、水道管を流れる水の音がうるさいと、日本刀で壁を斬りつけたという、娘の美佳さんの話を思い出す。
今は自由な時代だけど、職を選ぶなんて贅沢だった時代に役者になった人は、例えスターであっても、色々と鬱屈したものを内包していたという事なのでしょうか。

「こんな所に一軒家」か、もしくは旅をしながら生活したい願望はずっとある。実は定住よりも、B型だから遊牧民の血が入ってるせいか、流浪しながら生活したい願望があります。

東京に出て来た時は、新しい演劇という道に集中していたので、バイト先に格闘技のジム行ってる人がいても、特に何も思わなかった。劇団を辞めた後の自分の目標とかは、回想しても、我ながら思い出せないです。元々、東京に出た理由は演劇をやる為であったので、在学中は兎に角、映画館や劇場に雑誌「ぴあ」を手に通ってたし、YouTubeや大晦日のテレビなどで格闘技を観て血が騒ぐのも、冷静に言うならばノスタルジーなのかもしれないです(この辺の文章は追記して時系列が前後しまくっており、大変読みにくいかと思います。申し訳ありません)

自分の興味が音楽、そして演劇学校への入学と共に演劇に既に向いていたので、今となっては何とも。東京の街に翻弄されていた20代だったと言えるのかもしれない。

しかし、そもそもが、芸能の世界に足を突っ込んでいたのは姉の方だったのが、何故だか逆転していた。その経験は無駄ではなかったけど、なんだかな〜とは思う。

演劇学校で初めて触れる事どもは新鮮で、「当時は」楽しかった。ぶっちゃけ何でも楽しかったのだろう、その年頃では。新しい世界に触れる事は。

教室の床にケツを付けて座って講師の話を聴いていた時、
もう、一生ついて回るのだろうとうんざりするけど、
女子達の視線というか雰囲気が自分に向いていたのやもしれぬ。

突然後ろから首を腕で締められたけど、「こうしたらこうする」という事は頭に入っていたというか、身体で慣れていたし、
普通にそいつの腕を振りほどいて立ち上がって投げ飛ばして(中学の頃の仲間達と技を考えていたのが役立ったのと、やってるうちに「勘やセンス」が開かれたのかもしれない)
また座って講師の話を聴く体勢に戻ったのだけど、
聞くと、そいつは東京の練馬辺りで鳴らしていて、柔道やっていたそうだけど、

そんなもんかなと。(でも当時は身体が覚えてる動きをしただけで、あくまで興味、関心は演劇、演技であったので、最近の格闘技、プロレス愛好の趣きとはまるで違っていました。)

まあでも、熊本から関東に戻ってきた時にいつも思っていたのは、
関東の連中はカッコばかりで芯が無く弱い。

熊本を離れる時に親友が「関東の奴らに舐められるなよー」
と餞別の言葉をくれたのだけど、
今もそうだけど、
舐められ放題だった。
すまない気持ちでいっぱいだ。

熊本の小学校では、身寄りの無い子が住む特殊なホームがあり、
そこの子達は指笛で仲間達で合図をし、
トンボ切ったりバク転したり、
まるで忍者の様だった。
自分達とは会話が出来ない、しようとしない、勉強は多分そこの子達はしてなかったろうけど、ちょっと漫画に出てきそうな異様さがあった。凄く身軽で、忍者の後裔を預かっていたのかとさえ思う程でした。

自分の仲間達はそこの子達ではなかったけど、
でも両親が揃ってる子とか中流家庭の子はいなかったと思う(特に親しかった仲間では)

公立小学校ながら制服だったのは、私服だと困る子が多かったからかもしれない。今にして思えばだけど。
学校は靴を履かないで、運動場も裸足で、建物に入る時に「足洗い場」で足の裏を洗ってそのまま裸足で過ごす。
そのおかげで魚の目なんか見る影も無く消えたし、東京に住んでいた頃は重い病気に罹っていたけど、健康になり、ストレスなんて無縁だった。忘れ物や、時々学校抜け出して何か取りに行く時とかも裸足だった。文章だけだとまるで戦後だ。

給食の時間は早食い競争で、カレーライスの時とか、何杯お代わりするかを競っていた。
東京の学校でも牛乳の早飲み競争はしていたけど。

その頃の事は、自分にとっての映画「スタンドバイミー」の様な黄金期だったのだけど、
転入して早々にプロレスというか喧嘩というか、
所謂「洗礼」を仕掛けられて、それを難なくクリアーしたから仲間に入れたし、

仲間達の人気があったから学級委員長の投票があった時には一票差で負けたけど、
相手側に入れた子は直ぐバレてボコられたっけ(笑)というのは書き方が悪いか…みんな明るくて仲間想いで、開放的で、とてもとても楽しかった。
親友、浜やんと共に二人から始めて学校で二番目(一番かもしれなかったけど、上にまだ学年があったので)に巨大なグループを作った。
自分達で学校の部活動とは別にラグビーチームを作って、地元の自衛隊のチームと練習試合で対戦した事もある。

関東に来てからは全てがズレてしまって、
自分にとっての鬼門だと思う。でもそんな中でも良くしていく事は出来るので。場所や人のせいにしない様にせねば。

そんな中でも類友で、プロレス好きな連中が集まり、また、毎日の様に夜にテレビで映画を放送していたので、翌日学校で、昨夜の映画の話をする仲間もいたし、今の状況よりは全然恵まれていたのだな…と、比較対象が熊本だから灰色時代にしか思えなかったけど、まあまあ良かったのだろうか。

コロナに翻弄されてる世の中だけど、まあ何とか生きております。
しかし、世の中の動きはネットのニュースもあまり見なくなったので分からないけど、プロレスの抗争はエンターテイメントとして割り切って楽しんでるけど、世の中は平和であってこそなので、まずは身近なところから、人に優しく。
たまに読む「ほん怖」系の、きちんと解決する霊能者の話を読むと、力づくではなくて、
「読み解く力、センス」が大切で、その前に纏めてプロレスを観ていたので、何処か似ているなあと思えた。どうしてこうなったか、ならばこうすれば良い、と、力づくではなくて、読み解くセンスと、最善策で決めるところが。かなり個性的な見方をしてしまったけど。

関東の連中よりも熊本の仲間達の方が腕っ節にしろ段違いに強かったし、それを思うと、世に出てくるのは本人の「資質と実力」とは別の、「本人の意志」や「環境」などといった要素が大きいのだと思う。
世に出てこない優れた才能というものは数多くある筈。

関東の連中に舐められ切った落とし前を付ける為にも、数十年前の親友との約束を果たさねば、だ。

キックボクシングはちゃんと観た事ないけど(K1とはルールが違っているのかも、試合毎に違っていたので、そこも詳しく知らないです)知ってる名前が何人もいるから観たら、ハチャメチャで笑った!
小林さん、初代タイガーと対戦していたとは…まさに人に歴史あり。お見それしていた。
これだけの面子で、大阪プロレスばりのサービス精神満載のリング。
名前はレジェンドとして知っている藤原敏男。
一番年上で一番大人げないというか、殺伐としてない。藤原さん(レフェリーも藤原さんだけど)のお人柄なのだろうけど…最近YouTubeチャンネルも始められましたね…キックボクシングって、こういう世界だったのか。明るく陽気(エキシビションだから楽しませる為でしょうけど)…と興味湧かせてくれるエキシビションマッチでした。ちなみに、昭和の終わり頃にテレ朝で「驚きもものき20世紀」という番組で、沢村忠さんの特集をしていたのを観たけど、非常に印象に残る良い番組でした。

しかし、自分はコロナ前から愛犬の散歩が無くなってから腹が出てしまい、体重増加に伴い膝痛になり…

ベテランプロレスラーの皆さんも、そして先日序二段からの幕内復帰して優勝を飾った大相撲の照ノ富士も膝に爆弾を抱えているけど、

自分は只の怠惰で、最近薬局で見つけた漢方薬「ロコフィットGL」は、まさにそんな自分みたいな人向けで、コロナ太りで膝痛を患ってしまった方にはお勧めです。腹も引っ込んできてます。一個の瓶で三千円は高いと思ったら、粒の数は少ないけど小瓶もありました。

散歩はウォーキングといえば運動ぽいと気づいたので、言い方を「ウォーキング」にするとそれっぽいかな。
散歩は愛犬主体で散歩していたので、見かけた人は、やたらとワンコに話しかけながら散歩する人だと思っていたかもしれない…兎に角いつも話しかけてました。
それに比べると、一人で健康の為に歩くのは味気ないです。
それと、食事、または間食を減らすだけで腹が凹むものなのだなあ、以前から自分はそうなのだけど、年齢と共に新陳代謝が衰えてきたと思っていたので、
まだまだいけると自信持って行こうと思います。この漢方薬の効能に、新陳代謝を活発化すると書いてあるので、それもあるのでしょう。
あと、YouTubeにあげてるギターは、何だか急に周囲に音が聴こえる事が嫌になり、気が進まないので、更新してません。

ほのぼの

この先導していく猫ちゃんは、保護猫との事。

自分の2代目愛犬も保護ワンコ(というより、押しかけワンコ)だったけど、

動物って、保護したら飼い主に凄く恩に着て、とても愛情持って接してきます。この猫も、着いてくる様に先導してる時の尻尾がピンとしてたので、心許して嬉しい様子なんですね。

今回も後から追記重ねて文章が前後したりと読みにくくて申し訳ありません。
読みやすい文章を書く様に心掛けます。

また、信じるか信じないかは読み手次第の様な事も書きました。
しかし、なかなか文章が上手くならない。

今回も諸々訂正しなくては。



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