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木原千春さんの作品を通して見る自分

猫好きのミュージシャンとして細々と活動を続けているが、52歳を目前に「久しぶりに作曲してみよう!」と思い立ち、年甲斐もなく最新の機材を導入したのがケチの付き始めだった。
昭和40年代生まれのオッサンに令和の機材は使いこなせず、思いのほか作曲作業が難航してしまった…という言い訳をしているが、本当はアイデアが浮かばず手詰まりになっていた。無能さを誤魔化ごまかすために、自分へのいくつもの言い訳を重ねた結果、長い長い「休憩」という「逃亡」を図っていた。そんな最中、
「猫の絵を沢山描いている画家さんがいるよ」
と知人から教えてもらった。

猫好きを自認する知人は数年前から知っていたようだが、失礼ながら自身は知らなかった。
現在(2024.1.6sat-14sun)、湯島ゆしまで個展が開かれていると聞き、作業部屋から逃げる様に湯島に向かった。
ちなみに、この知人のお陰で毎年10回以上は美術・芸術に触れる機会を持てることに感謝している。

初めて訪れた湯島ハイタウン。
名前は知っていたが、実物を見ると「昭和40年代の田舎暮らし」を知っている身の「かつての憧れ」がそこにあった。
いや、マンション内に郵便局や銀行、飲食店からクリーニング屋、多数の会社事務所までもが揃い、目の前は湯島天神、さらに徒歩数分圏内にいくつもの駅があり、アメ横や上野公園も徒歩圏内という利便性は今でも羨ましく思う。

築55年の建物は流石に歴史を感じるが、しっかり管理されてて清潔感がある。棟内のパン屋さんや天ぷら屋さんに後ろ髪を引かれるが、ここで立ち止まる訳にはいかない。今日のお目当てはB棟B1F・roidworksgalleryで催されている木原千春さんの個展「木原千春Vitalism XI PART2」なのだ。

入場無料(!)のギャラリーに入ると、のっけから鮮烈な色彩が目に飛び込んでくる。飛び込んでくるのだが、なぜか痛くない。緊張感や力強さがあるのにそれに圧迫される事はなく心地よさがある。
事前情報を一切持たずに美術に触れるのが好きなのはこの快感があるからなのだと再認識した。

今更ながら断っておくが、本稿は作品の批評などではありません。評論家でも目利めききでもないので、作品を見た自分が何を思ったのか?を書き連ねただけです。駄文も含め、悪しからずご了承ください。

絵画作品を見るときに自分なりの見方があるが、その中でも最初に気になるのは「どこから描き始めたのか?」だ。
自分で曲を作る時もどこから手を付けるか?は重要な問題だったりするからだ。特に完成形がハッキリ見えていない状態から作曲を始める事が多いので、最初の一歩がマズイと頓挫とんざしてしまう事も珍しくないのだ。

曲線を交えた長い線を一発で描くときの絵の具の重なり方や描き始め描き終わりの形、重なっている線の一番上と、その下に見えなくなってしまったが確実に存在している線。さらにその下にある色。
何が描きたいのか見えていないと描けないだろう。

自分は今、何がやりたいのか見えているのか?

色を重ねていく順番や最後に置いた色や線を作品を見ながら想像する。
ほとんど表には出ないが、一番最初にCANVAS全面に塗られたであろう色から生み出される景色。絵の具が乾く前に一気に削り取られた線。作者の思いをカタチにする様々な技法があるのだろう。

新しい機材、新しい技術に飲み込まれ、自分を見失っている事に気付く。

曲が完成に近付いた時の最大の壁が「いつ、何を持って完成とするか?」だ。
作っている時に必ず陥る「足し算と引き算」がある。
バンドである以上、ドラム・ベース・ギター・キーボード・ボーカル等、音を積み重ねて出来上がるが、時に「足し過ぎてしまう」事があるのだ。
「まだ足りないんじゃないか?まだまだ出来る事があるんじゃないか?」と積み重ねてしまい、その結果作品が壊れてしまう。
楽曲の可能性を追求するための積み重ねは悪い事ではないが、不安や自信の無さの現れの場合はロクな結果にならない。

逆に「引き算の美学」で極限までぎ落す事もあるが、「シンプル」という言葉は「怠惰」「手抜き」「思考停止」と背中合わせなのだ。

どちらも自分の弱さと向き合う作業で、これが出来ない自分が自身を「アーティスト」と自称しない理由にもなっている。

木原千春さんの作品を観ていると、時折その作品全体には使われていない色が差し色の様に入っていたり、「完成」と言っても誰も疑わない状態の絵の上に走る白や黒の太い線、散らされた絵の具がある。そしてそれが心地よい。
「これが絶対に必要なんだ」という信念がある。
一歩間違えば台無しになる様な事にも一切の迷いがない。

「これが出来る人がアーティストなんだ」と思い知る。

同時にラクになった。
自身の凡庸さを改めて受け入れる事が出来た。
凡庸だからこそ更に努力しようと思えた。

猫の絵が多数展示されていたが、どれを観ても「猫と暮らしている人だなぁ」と思わされた。
なぜそう思うのか?そんな説明は言葉では出来ない。が、ネコが好きな人でないと描けないと思った。

自分はアーティストにはなれないが、せめて「好き」が表現できる様にはなりたいと思う。

●ギャラリーにいらした木原千春さんと少しだけお話をさせて頂きました。
多数の不躾ぶしつけな質問にも真摯にお答えいただきありがとうございました。

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