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セルフ・コンパッション尺度は何を測っているか

セルフ・コンパッションという考え方が注目されています。
"セルフ・コンパッション"は直訳すると”自分自身に対する慈しみ”ですが、関西学院大学の有光先生は『自分自身を負の側面も含めて「あるがまま」に受け入れるための心のありよう』として紹介しておられます。
提唱者であるテキサス大学の心理学者ネフ博士は、単に自己へのコンパッションということを超えた、仏教的な思想の影響を含む複雑で広がりのある概念としてセルフ・コンパッションを定義しています。

親しい友だちに接するときのように、自分自身に対しても批判したり怒ったりせず、適切な距離感をもって受け入れていくような姿勢というイメージが近いように思いますが、後で見るようにこれだけでは収まりきらない豊かな内容を含んでいます。

個人のセルフ・コンパッションの程度を測定する心理尺度(scale)として『セルフ・コンパッション尺度』が開発されています。
この尺度は『自分への優しさ』、『共通の人間性』、『マインドフルネス』の3つのポジティブな側面、『自己批判』、『孤独感』、『過剰同一化』の3つのネガティブな側面の6つの下位尺度で構成されています。項目数は全体で26項目です。

尺度定義

(日本心理学会HP)

これらの合計得点はセルフ・コンパッション尺度全体のスコアとして利用されます。

ポジティブな側面に含まれる下位尺度『自分への優しさ』がセルフ・コンパッションの中核概念だとされますが、他の下位尺度の内容をみても、セルフ・コンパッションがそれ以外のかなり多様な内容を含んでいることがわかります。

構成概念の定義にあたって、たとえば「対人関係で失敗した場合に自分にやさしくできるか」、「夢や目標に挫折したときはどうか」といった形でセルフ・コンパッション的な態度が表出するような場面に注目したり、あるいは「どのような方法で自分をいたわるか」という手段の側面に注目したりして"セルフ・コンパッション=自分への慈しみ"という概念を複数の相に分解して掘り下げて明確化していくのではなく、「他の人も自分と同じように苦しんでいると考える」、「絶望に支配されない」といったセルフ・コンパッションという言葉の定義そのものには直接的には含まれないような要素も新たに概念として組み入れることで意味を豊かにし、意味的な広がりを拡張する方向で内容が構成されているのが、この尺度の特徴だと言えます。


ところで、セルフ・コンパッション尺度の6つの下位尺度は上記の内容をそれぞれ測定しているのですが、これらを合計した総合スコアがどういった内容に対応しているのか、ということは明確には定義されていないようです。ネフ博士の論文ではセルフ・コンパッションは『自分への優しさ』、『共通の人間性』、『マインドフルネス』の大きく3つの要素から構成されるとされていますが、これら3つの要素に共通する上位の概念のようなものが存在するのかどうかは、はっきりとしないところがあります。

この点について実証的な側面から確認するために、セルフ・コンパッションの下位尺度間の相関係数を見てみることにします。

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上表は日本の大学生のセルフ・コンパッション尺度に対する回答から下位尺度間の相関(厳密には因子間相関)を計算した結果です。有光先生の論文『セルフ・コンパッション尺度日本語版の作成と信頼性、妥当性の検討』から引用させていただきました。

この表をみると『セルフ・コンパッション』のポジティブな側面を構成する3つの下位要素の相関はそれほど強くはないようです。反対にネガティブな側面に対応する3つの下位尺度間の相関がかなり強いこと、ポジティブな側面とネガティブな側面の間の相関は非常に低いことがわかります。

『セルフ・コンパッション』のポジティブな側面とネガティブな側面の相関が少なくとも本邦においては強くはないという結果は、少し意外なものですが翻訳の問題や文化差の問題などが原因である可能性が指摘されています。

さて、上の表は各下位尺度間の相関係数をまとめたものでしたが、ここから『合計点=セルフ・コンパッションの総合スコア』と下位尺度の間の相関を計算することができます。この計算は行列とベクトルを使って次のように簡単に表せます。

合計点と下位尺度の相関: Rw / √wRw'

上式のRは下位尺度間の相関係数行列を、wは下位尺度に対するウエイトを表しています。今回は荷重はしないのでwは全ての要素が1のベクトルになります。
実際に計算してみたところ、結果は下の表のようになりました。

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全体として『セルフ・コンパッションの総合スコア』は、『セルフ・コンパッション』のポジティブな側面よりもネガティブな側面との相関が高い傾向があるようです。これは『セルフ・コンパッション』のポジティブな側面の下位尺度間の相関が比較的弱く、ネガティブな側面では相関が強いことの影響です。
数値を詳しく見ると『セルフ・コンパッション』の中核概念である『自分への優しさ』と『総合スコア』との相関係数は0.52と6つの下位尺度の中で最も低く、『自己批判』との相関が0.80で最も高いことがわかります。

この結果からは『セルフ・コンパッション尺度(日本語版)』の総合スコアは、セルフ・コンパッションという言葉が直接的に意味するような”自分自身に対するやさしさ”の程度を表しているというよりも、”自分自身の欠点に対して厳しく批判的ではないこと”に近い内容を表していると考えたほうがよさそうに思えます。
『自分への優しさ』と『自己批判』の相関は-0.25でしたので、自分自身に対して批判的であることと、自分にやさしいことは同じ概念の正負の側面を表しているわけではなく、それぞれある程度独立した事柄であることも意識しておく必要があります。

『セルフ・コンパッション尺度』の実際の活用場面では『総合スコア』だけに注目して他の既存尺度との関係性を検討したり、あるいは個人の傾向を解釈するようなことは少ないと考えられますし、下位尺度の構成は思想的な背景や実践面での十分な検討を踏まえて現状のものになっていると思われますので、上記の事柄が大きな問題になる可能性はあまりないと考えられますが、一般に新しい心理尺度を開発する場合に下位尺度の一因子性が低かったり、下位尺度間で分散が不均一だったりすると、構成概念の定義と総合点の実質的な意味がズレてしまうことがあるので注意が必要です。いくつかの下位尺度の合計点を総合スコアとするような構造の尺度を開発する場合には、この点に対する配慮が必要になってきます。

この記事が何かの役に立ちましたら幸いです。

セルフ・コンパッション尺度日本語版の作成と信頼性,妥当性の検討


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