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ルトガー・ブレグマン『Humankind 希望の歴史 人類が善き未来を生きるための18章』の魅力【366】

 これからの社会を明るい展望で築いていくために、私たちの背中を押してくれる素晴らしい書籍に出会いました。また、この本の著者が私が現在暮らしているオランダの出身ということで非常に驚きました。今回は、その著書について私自身がとても学びになったと感じたことを記録しておきます。

 ニュースや報道で描かれる人間の姿は、「人間は利己的で自分勝手な行動をとり、一定のルールが存在しないと無秩序な状態になる」と思い込ませるようなものが多いです。例えば、環境問題に取り組む企業や個人の活動、地球全体で見たときの貧困や犯罪率などの低下よりも、部分的に引き起こされる過激なテロや犯罪、異常気象などが報道されることで、それを世界の一部にスポットライトが当たって強調されているだけで、「大半の人は良い人だ」ということを忘れてしまいます。

 もちろん社会は完全に安全な場所ではなく、自分の身を守らなければいけない場所もたくさんあります。しかし、私たちは長い歴史の中で安全に関する不安に反応するために「悲観的なことに反応しやすい脳」を持っており、その機能を理解して報道がなされることを理解できているでしょうか。生きることについて、楽観的になれるか悲観的になるのかはその人の人生だけでなく、社会全体の未来のあり方にも影響してきます。
 そういった、人間は本来「善」をもつ生き物だということを歪曲するような、これまでの心理学における実験や報道を事実を明らかにしたのが本書です。また、時に人間がホロコーストのようなとんでもない悪事をしてしまうことのメカニズムについても説明されています。
 ぜひ、一読していただきこのような話題でいろんな方をお話しできるようになればと思います。私が担当する中高生の生徒には、この本を薦めています。

 ルトガー・ブレグマンの言葉で特に印象に残っているのは、「私たち人類は一人一人は弱い存在だけれども、財産やアイデアを共有することで長い年月を生き残ってきた。私たちは身近な人間の間では、共産主義のイデオロギーに近い共有財産という生活形態で成り立っている」ということです。ぜひ、我々人類に関する見方を広げるきっかけとしてご覧いただけたらと思います。


さまざまな実験から知る「人間の悪」

 私が本書の中で最も興味を持ったのは、これまで人類共通の常識とされてきたような実験や報道に誤りがあったということです。この内容を読んで、まだ私たちは歪んだ人間観をメディアや見えない権力によって持たされているということを痛感しました。例えば、戦争や戦いの映画での戦闘シーンを見て、人間は平気で人の命を奪うことができると思っていますが、実際に引き金を引いた人たちの割合を聞くと耳を疑ってしまいます。

 人間が本来協力的な「善」をもつ生き物なのか、それとも利己的な「悪」をもつ人間なのかについて、それを調べるための実験が行われました。その実験は心理学の教科書などでは必ず見かけるようなものや、一般的に多くの人が知っているものがあります。実験のいくつもが人間の根源は「悪」であるという結論が出たように書かれているのですが、これらは実験者による捏造、メディアによる真実の歪曲がその裏側にあったことがわかっています。詳しくは、ぜひ本書で深く読んで理解していただけたらと思います。

・ジンバルドが行った「スタンフォード監獄実験(囚人と看守)」
・スタンレー・ミルグラムの「電圧実験」
・傍観者効果として知られる「キティ・ジェノヴィーズ事件」
 
(メディアによる事実の歪曲が判明)
無人島に漂流した子どもたち(『蝿の王』とは異なる事実)
イースター島の崩壊の原因
ノルウェーのハルデン、バストイ刑務所
 
(受刑者には罰ではなく、チャンスが必要であることが分かる)
アパルトヘイト撤廃に貢献した双子の話
・イギリス、ドイツの「戦場でのクリスマス」
ゲリラを家族のもとに帰らせた広告戦略
強盗を企てた少年に夕飯をご馳走したフリオ・ディア
・割れ窓理論

本書で紹介された特に読んでもらいたい事例

「共有・平等」から「戦争」の時代へ

 本書によると、狩猟採集時代の人類は平等を好んでいたそうです。当時は、生き延びるためお互いに情報や財産を共有していたとされています。
 人類が争うようになったのは、氷河期が終わってからで、農業を始めて定住をし始めた頃から土地や財産という所有物が増えました。そして、それが貧富の差につながり争いの元になったと書かれています。
 これは社会の仕組みによっては人は争いを起こすものの、本来は善をもつ生き物だということを示していると考えることができます。

世界市民主義から外国人恐怖症へ

 歴史の教科書には、人間が農業を始め定住生活をするようになり、文明が発展したというのがよく見られます。しかし、定住し始めた頃と弓で互いを狙う洞窟壁画がこの頃に描かれ始めたことを考えると、争いが定住生活と関係することは否定できません。定住生活をする農耕民は、外部の人間に不信感を持たなければならなくなり、情報共有や財産の共有ができなくなってしまったと書かれています。

都市国家と権力をもったリーダー

 定住生活によって、これまで行っていたような支え合いができなくなったことで、人々を取り巻く環境も大きく変化します。
 本書によると、これまで独裁をしようとしたり共同体に混乱を巻き起こすような人物は排除されていたので、人々の関わりは健全に保たれていたとされています。しかし、定住生活によって財産が固定的に継承され、貧富の差が広がるとともに、リーダーが恒常的に権力を持ち続けるようになります。

 さらに、リーダーに向かない人物であっても、軍隊をもち、自らの力を神格化することで、リーダーの交代が起こらないようになってしまったとされています。さらに、戦争によってリーダーの力がより高まるという構造から、不必要な争いがリーダーの権力維持のために起こされてきたというのは、私たちも過去の歴史を振り返ってみると理解できます。

権力は人を腐敗させる(クッキーモンスター研究)

 元々は善良な人間でも「権力」を持つと、脳の一部が損傷したかのような行動をとると書かれていました。権力を手にすることで、私たちは態度が大きくなったり、他人への関心がなくむしろ否定的に見てしまうそうです。これは、人間の「赤面」という作用との関係から分かったそうです。

 また、権力者は人を否定的に見て、それがそのまま権力をもたない人もそのように考えてしまうノセボ効果が働き、さらに支配を強化する方向に向かってしまいます。狩猟採集民たちが権力の集中は避けてきた理由がよくわかります。そして、人類は定住とともに、権力を移したり分散させる機会を失ったことで、権力の腐敗を防ぐことができなくなったことになります。権力の腐敗については、これまでの歴史で心理学者、社会学者、歴史学者が同意していることだと書かれています。

文明の発展は抑圧の強化

 文明の発展によって生活が便利になった、と考えることは学校の歴史で教わることですが、それによって人間の善の喪失に関わるというのは新しい発見でした。文明化は抑圧の道具であるとされ、税を課すための効率的な方法として「お金」を発明したり、借金の未払いリストのために文字や記録するためのものが発達したという記述には驚きました。確かに、王が自身の支配の安定を図るために管理する手段として、お金や記録は重要です。

 かつてユヴァル・ノア・ハラリの著書を読んだときのことを思い出したのですが、ある程度の「虚構」を作ることで人間は共通の行動をすることができます。文明の発展は、人間がかつて持っていた「善」を失わせるものとして機能したという側面と、統一された基準のものがあったから、生活様式がここまで便利になったという考えもできると思います。もちろん、便利であることが良いとは限りませんが、、、

農耕は人間の重荷

 農業を始めたことで、人類が本当に幸せになったのか。これについては、多くのユヴァル氏の著書やその他の記事などでも見てきました。この書籍においても、「農業の発明は大いなる失敗」であったと書かれています。

 狩猟採集民に比べると、労働時間が長く、人間の体に大きな負担を与えます。それでも農業は単位面積あたりの収穫量が多いので、人口は増加するのですが、その増加に伴い作物もたくさん取らなければならないという連鎖にはまってしまい、もう狩猟採集民には戻れない状態になっています。また、この頃に女性の地位が軽んじられるようになったとされています。
 さらに、人々が農地に縛りつけられることで、洪水・飢饉・伝染病が蔓延することになりました。そういった人々に降りかかる惨事に対処するために、これまでとは異なる神の存在が強調されるようになり、人間の罪深さが人類の苦境の原因であるという説明にすり替えられてしまいました。

人類共通の作り話

 社会的に機能するネットワークは、約150人とされています。しかし、私たちは会社や国家など、それよりも大きな規模の集団においてもある一定の決まりの上で共同で暮らすことができています。これについては、先ほどユヴァル氏の著書で紹介されていた「虚構」の機能があるように思います。つまり、宗教・国家・企業などのまとまり(実存しないもの)を同じ基準として考えることで、人間はそれに基づいた行動規範を持つことができるのです。

公平・中立にはならない人間の脳

人間の悪事は「共感」から生まれる

 私たちは他者への共感をもつことが、大きな特徴であると書かれています。しかし、それは時に人間を盲目的にするところがあり、第二次世界大戦のドイツ人は友人のために戦ったという話や、イスラム過激派のテロ組織に入る青年たちも宗教的信仰というよりは友人とのつながりから加わるケースが多いそうです。

 そういった「共感」という心理的な機能を悪用して、あたかも自分の行いが「善」だと思い込ませるようなものがあれば、人間は平気で残虐なことをしてしまうということがこの本からわかりました。第二次世界大戦の時にドイツによって行われたユダヤ人の大量虐殺も、こういった人間の強みでもあり弱みにもなる部分をよく理解しておかないと、とんでも無いことが起こるというのを私たちは理解する必要があるのです。

 「地獄への道は善意で舗装されている」というのは、とても恐ろしい言葉ではありますが、人間の本質を表すものだと感じます。
 私たちに必要なのは共感ではなく思いやりだとされています。気にかけるけれど、感情移入まではしないという姿勢を持つことで、私たちは健全な判断ができるのだと思います。

見えないもの、知らないものには「憎悪」をもつ

 戦場のクリスマスで取り上げられた話題ですが、最前線で戦う兵士同士は「相手にも愛する家族がいる」という気持ちから、なるべく戦闘を避けるような行動をしたと言われています。しかし、上官や中央の司令部は相手と対峙することなく、直接手を下さずに相手の命を奪えという指示を出す機関では、相手への攻撃には積極的で憎悪も大きくなるようです。

 私たちも同様に、隣国との問題で当該国民への憎悪を煽られることがメディアなどでありますが、その国に行ったことがある、もしくは人の知り合いがいるかどうかでそのニュースに対する反応は異なります。会ったこともなく見たこともないものは、情報に振り回されてしまうのです。

メディアの報道には注意する

 メディアの報道で私たちが世の中はどんどん悪くなっているという「歪んだ世界観」を持たされるというのは、いろんな書籍や記事でも言われています。なぜなら、私たちには「ネガティビティ・バイアス」というものを持っており、ポジティブな情報よりもネガティブな情報に反応しやすいようになっています。メディアはそれを利用して、世の中で起こっている良い部分ではなく、悪い部分にスポットライトを当てて強調することで利益を得ています。

 私たちはニュースの内容をそのまま受け取るのでなく、事実に焦点を当てることが必要です。そして、スポットライトが当たっている部分だけでなく、なるべく広い視野で物事を見るべきだということを忘れないようにしないといけません。

幸せに生きるためのマインドセット

信じたいものではなく、事実を見る

 本書の中で、バーランド・ラッセルの言葉が紹介されています。
「哲学について学んだり考えたりする時には、何が事実で、その事実が裏づける真実は何であるかだけを問いなさい」
 
つまり、自分が見たいものや信じたいものだけを見るのではなく、自分の中にある「無意識のバイアス」に気づいて事実に目をやらなければいけません。先述したネガティビティ・バイアスのような、私たちの中にもともと備わっているものに気づいているかどうかはとても重要なことなのです。

「数による管理」から解放される

 テイラーの経営哲学についても紹介されていました。ここで重要だと感じたのは、「金銭的インセンティブはモチベーションを下げる」ということです。数の管理は、管理側からすると簡単で楽ですが、その数を達成するためにごまかしが発生したり、数値には表されない価値が無視されることがあります。そして、結果的には本来の目標が表面的にしか達成できず、むしろ問題が大きくなることもありえます。

 この例は、本書の中で「割れ窓理論」のところで紹介されていた、アメリカの犯罪率を低下させるために、重大事件を取り消すなど事実とは異なる報告が起こされたことについて書かれていたところを読んで理解できました。そして、犯罪者を刑務所に閉じ込めれば良いというアメリカでの一般的な考えが再犯率の高さに表れているというのも、ノルウェーの刑務所の例などを見ると理解できるような気がします。
 これは私自身も感じることですが、数値よりも人の心や具体的な行動の方がモチベーションに大きく関わるということです。

他者からの見られ方ではなく、「自分の生きがい」を求める

 私たちは教員として、保護者として、子どもたちに良い成績を取ることを求めます。それは、子どもの将来を思って、彼らが大人になってから苦労しなくて済むために、先の見えない社会だからこそ「先手を打っておきたい」という思いが生まれます。
 これこそ、善意で舗装された道が地獄へ通じるように、自ら決断する機会を奪われた子どもたちは、結果的に自分の人生を自らの意思でコントロールしているという意識が希薄になります。
 これは、ローカス・オブ・コントロール(LOC)という、自分の人生をコントロールできているかどうかという指標で示され、内発的動機は弱く他者依存の状態で物事を決めたりすることが多くなっているようです。やはり、成績などの数字ではなく、数字には表れないその子自身の満足感や自立などに目を向ける方が良いということではないでしょうか。

 そして、私たちが成功者と定義づけるような銀行・法律・広告代理店などの民間企業で働く人たちは、自分たちの仕事が重要だと思えている人の割合が少ないという事実にも目を向けなければいけません。
 ぱっとした見た目のプロフィールは素晴らしく高給を得る人たちも、その内側では「自分の仕事は社会の役に立っていない」と感じているということです。他者から見て素晴らしいプロフィールを持っていても、それに自分が満足しないとすればそれは成功と言えるのか、もう一度考え直さなければいけません。

子どもの「遊び」の重要性

 ルトガー・ブレグマンは、子どもには遊びの時間が不足し、その重要性が軽んじられていると述べていました。
 今の子どもたちが、どれぐらい好奇心の赴くままに自由な空間があるかどうかについて問題提起をしています。また、彼は遊びを意義深く再定義しています。それは、「親が監視していない戸外で、規制や規則に縛られず、自由で拘束されないこと、自分たちが考えた遊びで自由に出入りができる」としており、さらに「退屈は創造性の源」としています。
 日々いろんなことに忙しい子どもは、創造性を働かせるための余暇すらないかもしれません。

交流によって世界を広げることで「偏見を排除」する

 私たちは、知らない人に対して誤解をすることがあります。そういった誤解から生まれる偏見を起こさないために、「接触仮説」という考えがあることが紹介されていました。

 私たちは「共感」という特性によって、自分たちと同じ境遇の人に同情してしまいます。それは、逆に言えば知らない人々に対しては、マイナスの感情をもってしまうことになります。
 そのため、旅行や留学などを通じた「交流」がより多くの信頼、連帯、思いやりを生み出すと書かれていました。また、「多様な友人を持つと、知らない人に対してより寛容になることができ」、「多様な環境は人を親切にすることも間違いない」とも書かれており、私たちはこのことはしっかりと胸に刻んでおくべきだと感じました。

 自分たちとは異なる価値観の人と出会わないということは、それだけ世界の広さに気づくことなく、自分たちの考えだけが正しいという決定をしてしまいがちになってしまいます。
 もちろん、現在は移民に関する問題も多く、交流することで起こるトラブルもありますが、長い時間をかけて、知らないことの恐怖や思い込みの固定観念などを取り除き、やがては互いが幸せに生きられる道を見つけていくことが求められます。

人との距離感

「自分がされたくないことは人にしてはいけない」「自分がしてもらいたいことは他人にしてはいけない」という言葉がとても印象的でした。
 何かをすることよりも大切なのは質問することで、相手を理解しようとする態度がお互いの関係を保つことができると書かれていました。

 また、善行や優しさは伝染し、話を聞くだけでも心が暖まるとされています。私たちは対話することで次のステップを見つけることができるのです。

社会問題の解決のスタートは「自分自身や周囲の人を大切に」から

 「自己嫌悪に悩んでいる人が他の誰かを愛せるか」、「家族や友人を大切にしない人が世界の重荷を背負うことができるか」という文章を読んだ時に、とても重要な考え方だと思いました。確かに、大きな目標の達成に気を取られ、その途中にある大切なものが見えなくなって、結果的に目標が達成できないということはあり得ることです。
 遠く離れた人にも想いを馳せることができ、近くにいる人たちも大切にすることができれば、私たちはこれまで以上に平和な時代を過ごせるかもしれません。

 以上が、ルトガー・ブレグマンの書籍から学んだことです。人間の本来の「善」を信じ、それを阻害する要因を理解することで、私たちの未来に展望を持つことができると感じることができました。この考えがもっと広まって、ネガティビティ・バイアスに気付けず未来に展望が持てないと苦しんでいる人たちが、明るい未来を描けるようになればより一層、その未来に近づくことができると思います。
 少しでも多くの人がこの考えに触れ、視野が広がる助けになれば幸いです。

<参考文献>
・ルトガー・ブレグマン、野中香方子・訳
『Humankind 希望の歴史 人類が善き未来を生きるための18章』
文藝春秋、2021

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