高校教諭時代の働き方① - 新卒・結婚・子育てスタートの4年目まで【147】
先日古いUSBメモリのデータ整理をしていると、高校教員をしていた頃に「学校の先生の働き方」として教職大学院の学生たちにプレゼンするために作成した資料を見つけました。
当時の働き方はかなり異常で、それを見た学生たちは恐怖を感じるのではないかと思いましたが、「この状況が異常とも言える現状が今ある」ことと、「現実を知ってもし進路変更しようと思うならそうしてほしい」ということを後輩に伝えておきたいと思いました。
学校の先生は、担当教科・学年・校務分掌・委員会や部活動顧問の有無などによって仕事内容や量が変わってきます。そのため、これはあくまで私の教員生活の記録としてお話させていただきました。しかし、慢性的に忙しい状況は、大抵の日本の教育現場ではどこもあまり変わらないのではないかと思っています。
そして、今回の記事では高校教員だった頃の生活やその時に感じていたことを、過去のプレゼン資料に基づいて記録用として作成いたしました。
◯教員生活1年目(工業高校)
所属学年:3年生(担任なし)
校務分掌:教務部(成績処理主担)
委員会:人権委員会
部活動:陸上部主顧問
担当科目:3年生「世界史A」(3クラス)、2年生「現代社会」(3クラス)
朝4時半起き、朝練のため始発で出勤する。7時前に学校に到着し、7時から練習開始、8時半までに終了。授業時間は、会議や分掌業務、授業準備、提出物のチェックなどを行う。放課後になると部活動の練習に行き、19時ぐらいまで練習をする。その後、20時半頃に帰宅。食事を済ませたら教材準備。1年目なので、授業を成立させることにかなり苦労し、教材研究や教材準備がとにかく大変であった。放課後は部活動の付添をしているので業務はできず。特に、試験後の成績処理の仕事は1年目ということもあり責任も重かった。
休日に関して、土曜日の午前中は部活動の練習、記録会や公式戦がある時は、土日ともに競技場へ行き審判などをして両日ともに1日すべてがつぶれた。土日ともに試合だった時の、月曜日の朝の疲労感が半端ではなかった。こんなにしんどいのであれば、もう辞めたいという気持ちがかなり強かった。
◯教員生活2年目(工業高校)
所属学年:1年生担任(1年7組)、校外学習係
校務分掌:なし
委員会:キャリア委員会
部活動:陸上部主顧問
担当科目:1年生「地理A」(5クラス)、3年生「世界史(選択科目)」(1クラス)
学校から自転車で30分ぐらいのところに引っ越す。電車の時間を気にせず早朝でも出勤ができるため、朝の時間には少し余裕が持てたが、基本的に7時出勤であった。退勤時間は、部活動があるため19時頃。
また、初めての担任業務で、自分のクラスが結構騒がしいクラスになってしまい、授業が成立していない状態も多々あった。保護者との生徒指導におけるトラブルなどもあり、心労を抱え気味だった。厳しい指導が自分にはなかなかできず、授業を成立させることが難しいと感じていた。「担任をすれば校務分掌がないことは珍しいことだ」ということを知り、担任業務と授業、部活動で精一杯であった私にとって、教諭の仕事量の多さに恐怖を感じた。休日については、部活動があるため1年目と同じような様子で、土日がどちらも仕事になることはそれなりにあった。
◯教員生活3年目(工業高校)
所属学年:2年生担任(2年生電気系)、校外学習係
校務分掌:なし
委員会:なし
部活動:陸上部主顧問
担当科目:2年生「現代社会」(5クラス)、3年生「世界史(選択科目)」(1クラス)
この年は、普通科の教員でありながら電気系のクラスの担任をしたので、電気系の資格や専門科目がどんなものなのかを学びながら新しいクラスの運営をした。電気系の先生方は、温かく迎えてくださり普通科の私にいろんなことをとても丁寧に教えてくださった。また、部活動や授業準備など、残業なども気にせず仕事に没頭した1年だった。この年に悩んでいたことは、教科内でなかなか指導方針が合わないところを調整したり、修学旅行の主担で打ち合わせや活動計画など、仕事での悩みが多かった年だった。部活動は相変わらず。
◯教員生活4年目(工業高校)
所属学年:3年生担任(3年電気系)
校務分掌:なし
委員会:なし
部活動:陸上部主顧問
担当科目:3年生「世界史A」(5クラス)、3年生「世界史(選択科目)」(1クラス)
妻が娘を出産した年であったため、生活や仕事に対する考え方が大きく変化した。妊娠が分かった頃から妻の体調が悪くなることが多く、積極的に家に早めに帰るようになった。また、出産後も同じ職員室の先生方から、積極的に帰るように声をかけてもらったのでとても助かった。ただ平均としては、7時出勤19時退勤であった。早く帰らなければならない時は、部活動は他の顧問に任せることにした。
3年生の学年としては、進路指導も本格化してくるが、東京オリンピック前の影響があったらしく、ほとんどの生徒が就職一次募集で合格し、その後も順調に就職・進学などの進路が決定した。体育祭や文化祭なども大いに楽しむことができ、担当した学年最後の1年を充実して過ごすことができた。担任した学年の卒業で、一区切りがついた。この時、自分の働き方、特に部活動についてこれまでの働き方では、家庭での時間がほとんど取れないと感じていた。部活動も立派な教育なのかもしれない、しかし家族との時間も大切にするためにはどうしたら良いのか考えて、複数顧問での業務分担に取り組むことを検討していた。
校務分掌と担任業務が分かれていてやっとだった工業高校での勤務
以上、教員時代の前半について、過去の資料を元に振り返ってみました。まだこの頃は、校務分掌と担任業務の両方をしたことはなかったので、忙しさでいうと普通科高校に転勤してからの方がかなり大変でした。
また、この資料を見つけたことで、退職した当時の前任校である工業高校で、いろんな方面でお世話になった先生方の顔が浮かんできました。働き方はめちゃくちゃでしたが、本当に素晴らしい人たちに出会えて幸せでした。
次回は、教員時代の後半の働き方についてまとめていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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