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自称バリキャリ

自身をわざわざ「バリキャリ女」「強い女」とわざわざ自称する女っていうのはマインドがおじさんナイズされている場合が多いように思う。
なぜかというと、現時点で社会的にのしあがった状態であるには、99パーセントおじさんで構成された社会で生き抜き、評価されている必要があるからだ。
おじさんの認める「女らしさ」を持ち、おじさんの認める「社会のきびしさ」に耐え抜き、さらにおじさんから評価されなければいけない。
それはもうおじさんである。
男性は自分の土俵以外への興味をあまり持たない生き物だから、例えば家庭的なことに対しては割とあっさりと評価してくれる。
が、自称バリキャリ女は家庭的なことに対して、女らしさに対して、ビジュアルに対して、仕事に対して、全てと戦ってきているので自分にも他人にもきびしい。女のノーメイクにも厳しいし、男に「痩せろ」「歯を矯正しろ」と平気で言う。
それは今のご時世立派なモラハラだ。
もはや前時代的なおじさんよりおじさんだ。
ただ、彼女たちがなぜこんなことになったのかと言えば初めからそうだったわけではやはりないのだ。おじさんたちの重圧の中でセクハラに遭いながら頑張ってきた結果がこれなのだ。おじさんは、というか、今のご時世でもまだ男性は基本的に「逃げる」ことを許されない。社会から逃げて総合職にならない、仕事に目一杯向き合わず定時で帰り配偶者に生活資金を出してもらう、飲食費を払う金銭的負荷を若さ美しさで躱す、おじさんは心の底では女を許していない。多くのおじさんはそのことに無自覚だが。
会社から帰ると多くのおじさんが愛妻家などの女子供に優しい人格を自覚した方が心安いのか、そんなおじさんも多いが、憎しみは会社にいる同類の女に向いている。

わたしは9割を男性が占める中小企業で総合職として働いていて、今後も続けるつもりでいるが、マインドとしては既にジジイだ。セクハラされたことも悔しかったことも大変だったことも人が遊んでいる時に仕事をし続けたことも山ほどある。残念ながら能がないため大して出世はしないと思うが、自分をバリキャリ、強い女と自称しないこと、他人のライフスタイルに絶対に口を挟まないことを心がけている。
なぜなのかは謎なのだがわたしもおじさんと同じくどんなに辛くても社会から逃げることができない。
わたしはジジイにもババアにもなれない、哀しき中年サラリーマンだ。

自称バリキャリは頑張っている。瘡蓋だらけだ。バリキャリという自称は瘡蓋なのだ。
でもおじさんとおばさんのハイブリッドなんて、おじさんよりもおばさんよりも扱いにくく面倒臭いに決まっているよね。

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