生肉

自宅で仕事をしていて、ふと窓から空を見上げた。木々の葉が美しく色づいている。パソコンの画面を見つめ続けた目に空の青が優しい。が、ふいに視界の端に赤いものが映り込んでいることに気づき、わたしは言葉を失った。
ベランダの物干しに、バスタオル大の赤い布がかかっている。
赤い布など持っていただろうか?もしくは、赤い何かをふき取ったタオルか?状況を把握することを意識が拒み、パソコンの画面に目線を戻すも、もう視界の端から赤色が消えない。観念して立ち上がり、ベランダの窓を開けると、物干しざおにはバスタオル大の生肉が干されていた。
物干しざおにバスタオル大の生肉が干されている?脳みその中で組立てた単語一つ一つがあまりにもかけ離れていて、全身から血の気が引くのを感じながら、わたしは震える指で生肉に触れてみた。やはり生肉だ。この暗い赤、指先にまとわりつく湿った柔らかさ、そして真冬の足先のような冷たさ、生肉以外の何物でもない。
わたしは後ずさりしてベランダの窓をしめ、生肉を見つめた。このままカーテンを閉め、見なかったことにするか?これは事件か?何の肉か?まさかヒト?警察沙汰か?いや・・・家族の誰かが干し肉を作っている?まさか。干し肉・・・ベランダにつるして中国式のベーコンを作るという話なら聞いたことがあるけれど。
突然右耳をアラームの音がつんざき、わたしは目を開けた。夢だったのか。布団の中で、混乱したまま考える。生肉・・・生肉?肉なんて、もう何年も食べていないじゃないか。
2022年に円が暴落し、そのまま落ち続けたことをきっかけに、日本はほんの10年後には先進国の輪の中には入れてもらえなくなった。地球全体では人口が爆発して、肉の輸入も、試料の輸入もできなくなり、日本人のたんぱく供給源はいまや大豆とコオロギだ。わたしは、夢の中で生肉に触れた感触を思い出した。遥か以前、肉を片栗粉にまぶすときに手で感じたのと同じ、冷たく湿った柔らかさ。
大豆を肉に似せる技術も相当進歩したが、あの感触だけは、もう死ぬまで味わうことはできないかもしれない。
今までそれなりにあきらめて食事をしてきたのに、突然の夢によりわたしは10年前の食生活を回顧し、焦れた。なんとかまた肉が食べたい・・・それも、生の肉を。

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