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先を思うと不安になる

先を思うと不安になるから、今日のところは寝るしかないね。最近この歌を知ってから、朝起きた瞬間から寝るしかないねとなっている。

今日の昼、近所の喫茶店でランチを食べたのだが、おばあちゃんが4人集まって物々交換をしていた。
そのうちの1人が折り紙で作ったリースをなぞのケースに入れて10数枚持参し、それをみた他3名が「リースにもなるし、鍋敷きにもなるしねえ、急須をおいても良いし色々使えるよねえ」とのこと。

ネットから拾ってきた折り紙のリース。まさにこんなの。

うち1人は「欲張ってごめんね」と3つも貰っていたが、3つも要るか??というか折り紙のリース、要るか???おばあちゃんの家にある折り紙作品はこのようにして増えるのだということや、需要があるのだということがわかった。

将来、定年して会社をおん出されて仕事がなくなったら、このように喫茶店に集合し、折り紙や落雁を交換する以外、何をして過ごせば良いのだろう。
折り紙のリースやTシャツを割いて作った紐で編んだ草履が根本的に要らないわたしでも、そういったコミュニティでやっていけるだろうか?「折り紙リース、要らんやろ」などと言ったら、ハブられてしまうだろうか?ハブられてしまったらだれも様子を見にきてくれず、畳の黒いシミになってしまう他ないのではないだろうか?

他にも、結婚もしていないくせに「ママ友から手作り味噌もらったりして、ちゃんと笑顔でありがとうが言えるだろうか」とか、「PTAに入れとか言われてちゃんと断れるだろうか」とか、将来属するかもしれないコミュニティについて考えると不安が募る。

ひとしきり将来属するかもしれないコミュニティのことで不安になったあとは、現在の不安について考えてみるが、不思議と現在に対する不安はない。強いて言えば、家が狭すぎて彼氏から「座敷牢」と言われてしまい、この座敷牢に高額の家賃を払い続けることに対する不安や憤りが募るのだが、まあこれも先のことといえば先のことだ。年金のことも気がかりだ。先日届いたねんきんだよりには、すでに350万くらい支払っていると記載されており、どうせもらえないのだろうから不安というより憤りの方が強いが、これもまたもう今日のところは寝るしかなかろう。

先を思うと不安になることばかりなので、今日のところは餃子を食べたら寝ようと思う。

おしまい

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