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大学四年生の先輩

大学に入ったばかりの時、大学四年生の先輩がひどく大人っぽく見えた。
まだ高校を卒業したばかりで、親元から離れて間もない自分は、自分を紛れもなく子供だと思っていた。四年の先輩たちは、わたしにとって誰も彼もれっきとした「大人」だった。

それは、実家から通っている先輩についても同様だった。自分も数年経てば、後輩が入れば、大人っぽく見えると思っていた。
しかし、就職が決まって、四年になり、卒論を提出してもなお、自分を今更子供と思うこともないものの大人と言いきるにも歯切れが悪いままだった。とはいっても後輩から見ればまあまあ大人に見えている、そんなもんだろうと思っていた。

いまのわたしは、社会人になってもう8年が過ぎようとしているが、時々「わたしは自分が稼いだお金で生きているのか・・・」とふと思ったりする。いまだに自分を完全なる大人と思ていない可能性がある。でも、まあさすがに誰がみても大人であることには間違いないし、後輩はわたしをババアだと思っているであろうと思っていた。

ところで、最近よく会社ですれ違う、他部署の一つ下の女性社員は、新入社員の時わたしの同期と寮で相部屋になり、無断でしかも頻繁に会社の同期である彼氏を連れ込み、あろうことかハムスターまで飼い始めたということで同期から通報され会社から怒られていた。
その頃の彼女の、大学生さながらの無責任な笑顔を今でも思い出す。
ところが、今の彼女の雰囲気、着ているものや表情からは、都心にごく近いベッドタウンにある大きなマンションに夫と暮らし、マンション内の持ち回りの役目なども果たしているような、れっきとした「大人」を感じる。

歳を取れば、自覚はなくとも他人からは大人と思われているだろうなどというのは間違いで、きちんと大人にならなければ、周りから大人だとは思ってもらえないのだと、後輩を見てようやくわかった。
いまのわたしは、自分のことしか考えていないし、自分に必要なことしかしていない。朝起きて、自分1人の世界から、社会に出稼ぎに行っているようなものだ。それは社会に生きていると言い切れない気がする。
多分、周りの人からも、そのように見えているのだろうなとようやくわかった。
歳をとったからといって、「大人」になれるわけでも、そう見えるわけでもないのだ。

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