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【父の死12日目】遺産放棄もラクじゃない

父が急に亡くなってから12日目。お葬式をしてから8日目。
ここに書くことで、怒涛のように押し寄せる有形無形のものを消化しようとしているんだと思う。今しか感じられない、今だけのこと。明日はわからない。

実印をつくる、そこはパリピ仕様で

今日は、印鑑をつくった。
印鑑登録をして、実印にするためのものだ。社会人が持つ中でたぶん最高峰のハンコ。
父の遺産をぜんぶ母にあげるために必要なのだという。

どうやら口頭で「私は遺産いらないから。あとはヨロシコ」って、母と弟に伝えるだけではダメなんだそうだ。父の銀行口座が凍結されたまま、お金を引き出せないんだって。

誰もが納得するかたちで相続を放棄するためには、「遺産分割協議書」という書類を役所に提出する必要があり、そこに「家族みんなで相談した結果、母に全部あげることにしました」という文面を書いて、ハンコをつかなければならないそうだ。
そのハンコが、印鑑登録をしている”実印”じゃないとダメなんだって。

(モザイクだらけだけど、死亡日がはっきり書いてある。弟がこの書類つくってメールで送ってくれたのだが、作成だけでも現実を見せつけられて辛かったことだろう)

弟は家や外車も買ったし、実印を持っているっぽい。
私は大きなローンを組んだり、会社をつくったりしたこともないし、乗っているのも軽自動車。実印はなかったので、つくる必要があった。ネットで発注すれば2、3日でできるらしい。

しかし、迷うなぁ。
実印って言ったらあなた、弥生時代の金印みたいなやつでしょ? どうせならカッコいいのがいい。

印鑑作成サイトを見ると、印影には絵も入れられて、カラスとか八咫烏のアレンジもいろいろある。しかし夫によれば「実印は複製や悪用を防ぐために、なるべく人には見せないもの」とのこと。カラス入れたら絶対見せびらかしたくなっちゃうよ・・・ということで却下。

入れる名前も迷う。
よくあるのはフルネームだが、女性って結婚離婚で苗字が変わることが多い。そういう慣習に縛られるのはキライなんだ。自治体のサイトで調べると「実印は名だけでもよい」と書いてあった。逆に、職業とか名前以外の情報が入ってるのはNGだそう。

おお、これで解決。

というわけで印影には、戸籍上の名1文字をどーんと入れることにした。
思えば「ひとりで歩いて行けるように」と父がつけてくれた名だ。子ども時代は男に間違われることもあってイヤだったけど、大人になった今ではジェンダーレスで気に入っている。自分らしいじゃないかと。(ドラマ金八先生の男子生徒に同じ名前がいたのだ)

そして印章と呼ばれる本体は、よくある黒い水牛の角――だけど、ちょっと奮発してラインストーンをあしらったものにした。その名も「スリーストーンクリスタル」♡ プリキュアかセーラームーンの技みたいで、強く生きていけそうだ。

ついでに印鑑ケースは、シャンパンピンクの型押し革調のちょっと高級っぽいのにした。

ちょっとだけパリピ仕様、浮かれすぎだろうか。
でもこの先――いつかまたこの実印を押すとき、私はきっと何らかの人生の岐路に立っているのだろう。そのときに少しでも気分が上がってほしい。前向きな気持ちになってほしい。

大げさかもしれないが、今の私から、未来の私へのエールだ。

午前中は、たまった新聞をまとめ読みして印鑑発注、午後は1000字程度の短い原稿を書いて送った。

今日6月30日は、夏越の大祓。近所の大山祇神社にお参りにいった。死を穢れとは思わないが、前に進むために、いらないものは置いていけたらと思う。

焼かれた煙は「物質循環」の証だったんだ

夕方、床に寝転んでいると、父がベッドから見ていた風景はどんな風だっただろうと考える。

余命を知って駆け付けた数日、私は「退院したらまた飲もう」とか「パパから写真を教わったおかげで、自分の写真がたくさん載った本が出た。また持ってくるから見てね」など、将来の希望ばかり話した。

すでに声の出せなくなっていた父は、目だけでうれしそうに笑ってた。でも、あの時はもう気づいていたんじゃないだろうか。自分が死に向かっていること。絶望はしてほしくない、希望のあるまま逝ってほしかったけど、もう来ない将来の話なんて酷だったかな。

そう思ったら呼吸がヘンになって、目から水がいっぱい流れてた。

頭では「まだ、いる」って思ってる。
でも身体は「もう、いない」って知っている。
インフルエンザみたいに、からだの中で二つの想いが闘っている。私は気づかないふりして仕事して、タコの刺身食べて、酒飲んで、バラエティ番組見て笑ってる。からだが重い。

あれだけ父の骨、見て、箸で骨壺に移したのに。「認めたくない力」って、すごい。

生態学では「物質循環」って概念がある。窒素とか炭素は地球の中で決まった量しかなくて、生き物が死んだりするたびに分解されて土の養分になったり、蒸発して雲になって雨として降ったり、ぐるぐる回ってるの。

父の骨以外の部分は、火葬のあの日、そういった物質になって空に撒かれたことだろう。煙を見届けてやればよかった。会食の場でビールなんて飲んでる場合じゃなかった。

――なんて考えてたら、焼酎を入れようとした湯飲みに食器用洗剤のキュキュットを入れそうになっていた。

最近ぼーっとしすぎなので、うっかり死なないようにしなければならない。
父も「俺が呼んだんじゃねーし!」と弁解するのに大変だろうから。

天国には国境はあるのだろうか、父が冤罪や名誉棄損で訴えるとしたら日本の法律なんだろうか。

位牌は布にくるんで隠せ

母も、私以上に死を受け入れられないようだ。
当たり前だ。20歳で結婚してから46年くらいずっと一緒に暮らしてきたんだもの。

昨日、法名がきれいに彫られた位牌が届いたそうで「これはさすがに辛い」とLINEが来た。それまでは仮のもので、木の板に没年月日と法名が紙に書かれた貼られたものだった。

私は「気持ちの整理がつくまでは、布か何かにくるんで、見えないところにしまっておいたら? 四十九日に出しても構わないし」と返した。お坊さんからは叱られるかもしれないが、残った家族にとっては、今、この一日を乗り切ることが最優先だ。

大山祇神社に実っていた甘夏っぽい柑橘。
よく見ると、黄色い古い実の上に、小さくて青い新しい実が生まれている。
循環――そういうことなのだ。
今は飲み込みたくないけど、そういうことなのだ。

カラス雑誌「CROW'S」の制作費や、虐待サバイバーさんに取材しにいくための交通費として、ありがたく使わせていただきます!!