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明朝な人、ゴシックな人

最近、カラダに摂取した作品。

60年代の超名作フランス映画『男と女』(♪ダバダバダ~の歌で有名なアレですね)と、村田沙耶香さんの新著『地球星人』。あ、あと再放送でカムバックしていた月9の金字塔『東京ラブストーリー』も、お腹いっぱい食べたんだった。

でも、今日ですべてぶっ飛んでしまった。

五所純子(ごしょ・じゅんこ)さんという文筆家のつむぐ言葉が、カッコよすぎたからだ。

仕事をしている関係で、ウチには雑誌『サイゾー』を毎月送っていただいているのだが、今月の11月号からの新連載「ドラッグ・フェミニズム」で知ることになった。覚醒剤やコカインなど、クスリに溺れた女性たちの生き様を追ったルポである。

リズムよく短文を積み上げながらも、不意にドスンと腹にくる言葉を打ち込まれる感じがたまらない。映画の評論などをよく書く人なんだろうか、ノンフィクションなのに妙に詩的なのだ。

今月号の取材対象は、2018年2月に逮捕されたゴーゴーダンサーの君島かれんさん。彼女の地元である川﨑の駅前を一緒に歩く描写もいい。

 仲見世通りを抜け、かれんが先へ先へと歩いていく。客を引っ張るでもなく、物を売りつけるでもなく、会話を交わすでもなく、男たちが等間隔をおいて点々と立つ。キャバクラや性風俗店のケバイ色彩のなか、人間たちはぼんやりする。「かれんちゃん、変わったね」、男が切り裂くように囃した。「私、変わったんだよ」。かれんが叫んで返した、声の方には目もくれずに。男の声量のほうが、わずかに大きかった。
 錘(おもり)だ。どす黒くて、べったりとつなぎ留めて、いつまでも足を引っ張る。

ケバイ色彩とか、切り裂くように囃すとか、どす黒くべったりつなぐ錘とか、それは五感を激しく揺り起こす。

昔から、誰かの書いた文章を見ると「明朝体っぽい人」「ゴシック体っぽい人」を仕分けるクセがあるんだけど、五所さんは突き抜けて明朝体っぽい。あの書体特有の尖った部分(「うろこ」と呼ぶらしい)が、こっちの心臓に刺さりそうだ。バタフライナイフだろうか。

『夫のちんぽが入らない』のこだまさんも明朝だけど、もう少し華奢で薄い……手術用のメスみたいな感じ。刺すんじゃなくて、スッと軽くひいただけで皮膚が裂けるの。

反対に、ゴシック体っぽい人はノンフィクション作家の高橋秀美さんとか。なんだろ、ちょっととぼけた感じがあるからかなぁ。判別の根拠はあまりなくて、なんとなく。ここに並べるのは恐縮だけど、自分の文章もゴシック体。しかも丸ゴシック。あぁ、これは単に自分の脳みそが未熟なだけかもしれない。

媒体以外にも、TwitterやFacebook見てても、「明朝の人」と「ゴシックの人」っていますよね。明朝の人はギッシリ書いていて、バトル時の反論も論理的。ゴシックの人は「!」が多くて、会話もパッション系。

キツネ顔、タヌキ顔みたいな話だろうか。

伝わるかなぁ、この感覚。

すみません、なんか取り留めない話で。

カラス雑誌「CROW'S」の制作費や、虐待サバイバーさんに取材しにいくための交通費として、ありがたく使わせていただきます!!