見出し画像

親って本当に死んじゃうものなんですね

6月18日、父が人生を完成させました。
70歳、がんの転移でした。

コロナもろもろで3、4年会ってなくて、父は入退院繰り返してもわりと元気にやってたの。なのに6月11日に突然母から「今月いっぱいもたないらしい」と戸惑った声で電話あって、その日のうちに埼玉に飛んで帰って――

たった7日だぜ。
ウソみたい。
まだ70歳だよ、あと10年ぐらい遊べたじゃん?

夢落ちかドッキリでしょ?って今も思ってる。
でも、いつまで経っても、「どっきり大成功!」のプラカードを掲げた芸人は現れない。
現実は私たちの心を軽やかに飛び越して、ずいぶん先へと走り去ってしまった。

(臨終が朝3時ごろ、6時すぎにはもう葬儀場の遺体引き取りがあった。ホテルに帰り、現実逃避を兼ねて一度寝る)

あれからずっと思ってること。
――噂には聞いていたけど、自分の親もやっぱり死ぬもんなんですね。

バカみたいでしょ? でもそのバカみたいなことが、いまだに飲み込めないでいる。こうしている間にも父から「退院したよ」って電話かかってくるような気がして。

亡くなった翌朝10時には葬祭場で、母や弟とお葬式の打ち合わせしてて、「骨壺も種類あるんですねぇ、これは3万円か」なんて話してる。死亡診断書も初めてみた。原本は葬祭場が火葬の手続きで役所に提出しちゃうから、遺族はその複製で他の手続きをする。「決して失くさないでくださいね」と10枚くらいコピーをもらった。膨大なタスクリストに悲しむ暇がない。

応接室には、いろんな種類の棺や骨壺、花、遺骨を使った置物などが、値札付きで並んでいる。ある意味、旅立ちのショールームだ。

こんなときにも職業柄なのか元来の癖なのか「今こそ葬儀の最新事情を知るチャンス」なんて好奇心がわいて、

こんなものに喰いついてしまった。
なんだと思いますか?

故人の「指紋」をかたどったネックレスです。
アメリカのクレセント社というところで作っているらしい。
3万5000円ぐらいだった。

焼いたら残らない、肉体の証。
ちょうど『マツコの知らない世界』で指紋の特集を見たばかりだった。
業界的には「終生不変」「万人不同」といって、その人の一生で変わることのない、二つとして同じものはない、ものなんだって。

私は、父の「右手の人差し指」でお願いをした。
カメラのシャッターを押す指。
高校生で写真をはじめた、私の最初の師匠は父だった。

「お父さんの指が――海を渡ってアメリカに行きますよ」

いいこと言った風に、葬祭担当のお兄さんが少し微笑んだ。
しかしこっちはエスプリなんて受け入れてる余裕はない。

頭に浮かんだのは、父の指が切り落とされて茶封筒に入れられている図だ。任侠映画なら絶対そうなる。
「え・・・、切り取っちゃったら、それ・・・戻ってくるんですか??」
「え、え、え???? ご遺体を切り刻むなんてとんでもない!! そんなことしませんよ~~~」
青くなってブンブン首を振るお兄さん。
疲れた顔で苦笑いするしかない母と弟。
遺体を安置しているところに業者さんが来て、3Dスキャンしたものがデータとしてアメリカに送られるらしい。そりゃそうですよね。

人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。
チャップリンの言うことは正しいと思う。

葬儀と火葬は、3日後の土曜日に決まった。

「父の喉ぼとけの骨がほしい」と母が言い、とりあえずの容器を買って帰ることにした。まさかショッピングモールで、自分の父親の喉ぼとけの骨入れを探すことになるとは。そもそも大きさもわからない。

弟は「大は小を兼ねるから、弁当箱でよくね?」とキッチン用品売り場へ、私は「気分も大事だからジュエリーボックスとか? ちゃんとしたのは後から選べばいいよ」と3コインショップへ。
母は手のひらサイズのジュエリーボックスを買ったけど、火葬当日は結局もう少し大きなゴディバの空き箱を持参していた。

人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。

私にはいろいろあって、家族との心の距離感がある。
父には感謝もあれば、裏切られたと感じたこともある。

言えなかったことを手紙にして、棺の中に入れた。
父以外には誰にも見られたくなかったので、胸の内ポケットに入れた。
お気に入りだったユナイテッドアローズのブルーのジャケット。
ズボンはリーバイスのデニム。
前日の納棺式で着替えさせてもらったのだ。

葬儀当日。

控室と会食の部屋に、父の写真を並べた。赤ちゃん時代の写真も・・・って結婚式かよ!(笑)

人は肉体が死んだときと、忘れられたときの二度死ぬと聞いたことがあるけど、あれはウソだな。火葬の炉に入るときにも、再び死ぬ。
ゴオオオオオと轟音の反響する鉄扉の向こう側。最後の扉が閉まるとき、心臓を握りつぶされるようだった。これで生きた人間としてのかたちを失う。身近な分だけ、祖父母のときとは次元の違う痛みだった。

骨の説明をされたとき、母は正視できなかったので、最初は私だけで聞いた。
狩猟の世界にいるから、哺乳類の骨は見慣れている。
頸椎はイノシシそっくりだなと思いながら見ていた。
「骨の中身はちゃんと詰まっていてしっかりしています」と担当の人。

でもこんなに焼いてボロボロになっちゃったら、骨格標本にはできないよな。ワイヤーを通しても、何しても元通りにならないんだよな。

やっぱり死んじゃったのかな。
そうなんだろうな。
正反対の方向に動く歯車に挟まれているようで、現実味がない。

がんにしては痛みも少なく、穏やかだったこと。
最期の数日、残された時間は感謝を伝えながら一緒に過ごせたこと。
それだけは救いです。

きっとみんな、こういうことを乗り越えていくんでしょうね。
大丈夫、きっと大丈夫。

がんの進行を意識したとき、父だって本当に怖かったと思う。よく前向きに闘った。尊敬しかない。今はきっとその恐怖と苦しみからは解放されただろう。お疲れさまでした。

育ててくれてありがとう。
高い楽器、高い学費、お金のかかる娘でした。
反抗ばかりでごめんなさい。

でもさ、なんだかんだ言って、この世に肉体をもらったことが、最大の愛だったと思う。肉体がなきゃ、何も感じられないしさ。

きれいごとだろうか。たぶんそうだろう。でも、今は心からそう思う。

(大三島のバスインター。帰島の前日は、警報が出るほど大雨だったらしい)

6月23日(日)、愛媛の島に戻る。
24日(月)、どうしても外せなかった皮膚科診察へ。
25日(火)、自分の本棚がむしょうに嘘くさく見えて、100冊ぐらい処分した。背伸びして買った本、付き合いで買ったけど手を付けていない本がそれなりにあった。本心から必要とする本だけを見える場所に残した。

私の中でも、一度何かが死んだのかもしれない。

今、肉体があって、痛いところもなく、おいしいものが食べられて、誰かと意思疎通ができて、知りたいものを追い求められることは、本当に奇跡で儚いものだと思う。

まだ何をするにも身体がだるくて、ギアが重いけど、少しずつ加速したいと思います。支えてくれてる方々、本当にありがとうございます。

父の指紋ペンダントが届くのは、2、3カ月後らしい。
そのときはきっと今と違った気持ちで、手に取るのだろう。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
みなさんの命も、今ある分、最大限に充実しますように。

カラス雑誌「CROW'S」の制作費や、虐待サバイバーさんに取材しにいくための交通費として、ありがたく使わせていただきます!!