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友達に話したくなる「金持ち」の話

あなたは「お金」というものに何か得体の知れない悪意の様なものを感じたことはないでしょうか?

「お金を稼ぐ、という言葉を聞くと不快になる」
「お金を沢山持つにはずる賢く、悪どくなければならない」
「月収、年収の話はしてはいけないし、聞いてもいけない」

これらは中流家庭の一般的な教育を受けている、所謂【大衆】なら誰しもが自然と持ってしまう考え方の一例です。

映画やドラマ、漫画などでもしばしば登場するお金持ちは【悪役】で登場することが多くあります。

これには理由があって、皆が悪というものを悪だといえば自然と受け入れられやすい、そんな閉塞的な町村思考が根底にあることが原因です。

お金持ち=悪であり、その悪を成敗する格好いい好印象の主人公

これを作り上げることが“ウケる”メディア作成の一手法でしょう。

もしあなたが小説を書いていたり漫画を作っていて、どんなストーリーにしようか迷っているならば一度参考にしてみてください。

金持ちの悪を成敗する好青年はとってもウケが良いですよ。

とはいえ、私もそうですしあなたもそうだと思いますが、お金って欲しいですよね?


「沢山あって最も困らないものは?」
「お金!」

と、答える人が多いのではないでしょうか。

不思議ですよね。お金持ちは【悪】なのに。

この記事ではそんな「お金持ちになるにはずる賢く、かつ他人に対しては冷酷な悪い心をもっていなければならない。そうはなりたくないがお金持ちにはなりたい」、そんな二律背反を抱える“一般的なの日本人”に向けた『お金の新聞』です。

そんなあなたに「お金を稼ごうとすることやお金持ちであることは悪ではなく、むしろ尊重されるべき行為であり、お金とは悪の根源ではなく絶対に人間の生活に置いて必要なものである論」を提供しましょう。

聞けばきっとすぐに友達にこの話をしたくてたまらなくなります。


⬜お金とは

さて、まずはそもそもお金というものは一体何なのか、一度正面から見つめ直してみましょう。

古来、人間の生活にお金という概念が存在していなかった頃、全ての取引は【物々交換】で成り立っていました。

お米を肉に、肉を魚に、魚を野菜に、野菜を労働力に、労働力を衣服に、衣服を家や家具に、家具をお米に……

といった具合に、誰しもが何かと交換できる何らかの【価値】を持ち、その価値を他の何かと交換してもらうことで人々の生活が成り立っていた時代があります。

この時代でいきていくためには“誰しもが必要とする仕事”をする必要がありました。

誰しもに必要とされる仕事といえば、言わばこの頃なら生産系。
生きていく上で欠かすことのできない、「衣・食・住」に関係する仕事以外は優先度が低く、取り組む人がいないのが当時の状況です。

何せ必要とする人が少ない仕事=物々交換という【価値の交換】に応じてもらえる先が少ないということになります。

物々交換しかないので当時に「投資」という概念はありません。

すると、「今はまだ結果が出ていないけれど、ゆくゆくは大きな成果をもたらしてくれるかもしれない仕事」の様な、例えば研究職などはなかなか発展せず、文明が成長しないことを意味しています。

そもそも物々交換ってこの例を見れば分かる通り、「めっちゃ不便」ですしね。

さて、そこで生まれたのが「通貨」の概念です。

最初から【お金】だったわけではありませんが、1つの集落、1つの村、1つの国で共通して使用できる「当価値のものと交換できる券」が急速に広まるようになりました。

それが「お金」です。

概念だけを説明すると、お金とは“その価値を保証された引換券”です。

1000円札や10000円札などの正式名称を「日本銀行券」と言い、その名の通り「日本銀行」がそれぞれのお札の価値を保証していくれているから、私達が安心して日本円による取引を日本国内で行えています。

100円には約1ドルの、1ドルには約缶コーヒー1本分の相対的な価値があります。

このルールがあるから今の世界は物々交換に頼ることなく、「お金」を交換の仲介役にすることでスムーズな生活を実現することができているのです。

⬜お金がなければ文明は発達しない

お金がなければ人類は不便な物々交換を続けるしかありません。

人間は「社会性」を重んじる生物です。
これは1人では生きていけない人間の習性が物語ってくれています。

お米を作りながら魚を捉え、肉を調達し、住居を構えて生活基盤を安定させることは不可能に近いでしょう。

人間はこの不可能を「社会」を作ることで解決してきました。

分業、共同、協調……人間の世界は「他人」との関わりで成り立つ要素ばかりです。

そんな社会において「通貨」がなければ、先に触れた様に文明が発達しない、という事態が起こりえます。

お金がないと物々交換しやすい仕事以外の需要が極端に低下します。

所謂娯楽や研究系の仕事だと交換してくれる相手が限られますから、物々交換しか生活の手段がない状況ではその仕事を選ぶことはできたものではありません。

しかしお金があるならば状況は変わります。

お金という人間共通の価値があるならば、どの様な仕事を選んでも「誰かに必要とされていれば」生活が可能になるのです。

少々分かりづらいかと思いますので説明を加えると、例えばお米や魚、野菜や肉の調達を生業としているならば、どれも生きていくためには必要なものですから他の何とでも交換することが可能でしょう。

米は需要が高いので、魚とも肉とも野菜とも交換が可能、といった具合にです。

しかしこの時代に病気の危険性を考え、ワクチンなどの研究に打ち込む人がいたとして、その人の研究結果と米や肉、野菜、魚等を誰が交換してくれるでしょうか?

たまたま漁をして暮らしている人が病気になり、その病気をワクチンで治すことができれば、魚を手に入れることはできるでしょう。

しかし誰も病気をしていない状態ではこちらから先にワクチンと米や肉の交換に応じてくれる人は現れないことが想像できます。

何せ誰かが病気になるまで「需要のない」ものですので。

もちろんいつかは需要が生まれ、必要になるものだとは思われるでしょうが、需要が生まれるまでワクチンを開発した人の方から交換を持ちかけることはできません。

つまり、この仕事では生きていけないんです。

しかし共通の価値、「お金」があれば話は異なります。

誰かが病気になればその人はこのワクチンを頼るでしょう。
するとその人が漁をしているひとであれ、田畑を耕しているひとであれワクチンと交換するのは「お金」です。

もらったのが魚や野菜ならそれを食すしかありませんでしたが、お金ならそのお金をさらに米や肉に交換することが可能になります。

この例から分かる通り、お金は人類に「職業選択の自由」を与え、その副産物として「研究職」や「娯楽提供」のように、「全員ではなく特定の誰かに必要とされる仕事」を選んでも生活を維持できるようになったのです。

この効果が後の文明を大きく発展させてくれる一要因となりました。

⬜お金持ちと社会豊穣

物々交換よろしく、豊かな人=沢山の価値を集めた人です。

沢山の価値=沢山のお金と交換できるものですが、沢山交換できるものを持っている人、というのは悪人でしょうか?

ビジネスとは本質的に「人に喜ばれることをした報酬」を得る活動です。

ならばお金持ちも本質的に「より多くの人を喜ばせた人」になるのではないでしょうか?

ではなぜお金持ち=悪のイメージが広まっているのか。

色々、本当に色々あります。

それは
所得が少ない暮らしから来る不安や不満であったり、
きらびやかで目立つ生活への嫉妬や妬みであったり、
どうやって金持ちになるのか分からない不満や惨めさであったり、
自分は金持ちになれないと考えるゆえの自己正当化であったり、

本当に色々です。
一概に「これが理由だ!」とは言い切れませんが、

それ程に沢山の理由から「お金持ちはなんとなくだが悪だと思う」という思考は自然と広まっています。

その殆どは「お金持ちになる方法が分からないから」という理解の外の光景であることが原因ですが、その本質を隠すように様々な感情がお金持ちを悪いイメージで覆ってしまっているのが資本主義の現状です。

ボランティアやチャリティーのような無償の奉仕が称賛され、金儲けを視野に入れた事業展開がよく思われないのも、まだまだ金持ち=悪のイメージが根強く残っていることが原因でしょう。

そのイメージを払拭する為の話をしましょう。

一般に、「お金をもらうことに引け目を感じてしまう」人がいます。
しかも結構沢山います。

あなたは残業代や何らかの手当、ボーナスや報奨金などを貰うときに引け目を感じるタイプですか?

仕事上の報酬で引け目を感じなくても、例えば善意から誰かの手伝いをして、その御礼とばかりにお金を渡されたら「もらえない」と反射的に断ったりしてしまっていませんか?

もしそうならあなたはとても優しい人ですね。
しかし同時に、あなたのせいで日本が豊かにならないのだ、とも釘を指しておきましょう。

「人のお金を貰うことに引け目を感じる」

これは日本人に蔓延した一種の病気です。

貯金好きな日本人独特の、「富は減るものである」という思考からくる間違った認識です。

大切な考え方を1つ、お伝えしましょう。

【富とは増えるものであり、減るものではない】のです。

例えばあなたが誰かに頼んで家を建ててもらおうとした場合……

あなたの手元には家を建てるためのお金、例えば1千万円が手元にあるとします。

この1千万円を支払い、家を建ててもらいます。

すると、あなたの手元から1千万円は無くなりますが、代わりに1千万円相当の家が残ります。

そして、あなたの持っていた1千万円はなくなったのではなく、家を建ててくれた人のところに移動しています。

これで、1千万円と1千万円相当の家が同時に存在していることになりますので、価値の総量は2千万円です。

「結局1千万円は手元からなくなってるじゃないか!」

いいえ。
1千万円分の家が残っていますから、自身の持つ価値はまったく減っていません。

もしも今度は自分が1千万円分の現金を欲しいと思ったなら、1千万円分の商品やサービスと言った価値を誰かに提供すれば良いのです。

1千万円が手元からなくなったということは=1千万円分の価値を受け取ったということ。
1千万円を手元に獲得したということは=1千万円分の価値を誰かに提供したということです。

すべての人がお金を欲しいと思い、欲しい分だけ世の中に商品やサービスと言った価値を提供することで富は無限に増えていきます。

富=現金だけではありません。

日本人はクレジット支払いではなく現金そのものでの交換を好みますよね?

あれがまさに日本人が現金以外を価値あるものとして認識していない証明です。

給料が外貨や仮想通貨、株券や土地として貰うことになっても困りますよね?

困る=使えないということであり、使えないということはつまり価値がないと思っているということです。

もちろんこれは例であり、給料が日本円以外で受け取ることになると誰でも困ると思いますが、それでも覚えておいてください。

富は増えるものです。

自分が提供した分だけ、自分が欲しいと思った分だけ価値を受け取ることができ、すべての人がお金を欲しがって価値の交換を頻繁に行うことで世界の富は加速度的に増え続けます。

「報酬をもらうのは申し訳ない」
「お金が欲しいと大々的に言うのはみっともない」

この思考が日本が豊かになるのを遅らせている原因です。

もっとお金を欲しがって良いんです。
お金持ちになって良いんです。

お金持ちは悪ではありません。
それは只の思い込みです。

お金持ちは誰よりもお金を欲し、そのために誰よりも価値あるものを生み出し、世の中に価値を提供して貢献しているだけの人たちです。

何も悪いことをして稼いでいる訳ではありません。

お金持ちもそうでない人も、皆同じように幼少を過ごし、同じように大人にになっていくのです。

その過程で悪い知識を身につけるわけでも、性格が歪んで富を独占するアイデアに目覚めるわけでもありません。

お金持ちになるために相対的に周りの人よりも沢山の価値を世に提供しているだけなのです。

⬜まとめ

・お金とは世界を便利にするための「仕組み」である
・お金持ちとは一般よりも多くの質の高い価値を世に提供している人
・富は増える、減りはしない
・お金が欲しいと思い、行動することで世の中は豊かになる

いかがでしたでしょうか?

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
この見識があなたの見る景色に少しでも影響を与えられたなら幸いです。

お金、お金、お金。
現在の人間社会においてこれ以上に分かりやすい「価値」は他にありません。

しかしこれだけ「お金とは良いものだ」と語っておいてなんですが、最後に大切な見識を1つ添えて、この「友だちに話したくなる金持ちの話」を〆させていただきます。


“お金には何の価値もありません”


あれは只の「価値交換券」です。

大切なことは「自分の価値」を所有し、それを他の価値と安定して大量に交換する手段を持つことだと、心得てください。

そうすればあなたは一生、お金に困ることはなくなります。

以上です、ありがとうございました。


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