学問

 私は反証主義者です。(ただし、さっき読了した『知性の限界 高橋正一郎 著』に影響された生まれたてほやほやの反証主義者です)(ちなみに反証主義とは、帰納法(経験則による判断)に頼らず、仮説を批判・反証していくことで真理探究する立場のこと……だと思います)

そんな私としては、世間でたまに耳にする「ガッコ―の勉強なんて社会に出てもなんの役にも立たねえよ!」という意見(仮説? 風潮?)に異を唱えたいと思います。まあ、異を唱えなくてもいいんですけどね。基本はニヒリスト気取りですので……。ですが、ここはあえて唱えます!! なんでもいいから文章が書きたい気分なので。

ちなみに私は職場の同僚やそんなに親しくはない友人が上記のような台詞を吐いたとしても、「まあね~」とか「そうそう。おれも前からそう思ってたんだよ」とか言います。聞く耳を持たない人(聞く耳を持っているかどうかわからない人)になにを言ってもムダだと思うので。人は聞きたいようにしか聞かないし、理解したいようにしか理解できないでしょう? こういったこみ入った話をするのならば、いわんや、相手の「理解しよう」という協力的な思考が必要ですから。まあ、それよりなにより経験上、そうした方がお互いに気分を害さないと思いますしね。

本題、「学校の勉強は社会で役に立たないのか?」についてですが、もしも自分の親しい友人や恋人がこんなことを言っていたとすると、私は彼(彼女)の肩に手をおいてこう言います。「そうかもね」

さらに、もし相手がその先も話を聞きたいような雰囲気でしたら、こう続けます。「ただし、この問題は君が思っているよりも根が深いものかもしれないよ」

「そもそも、問題に不明瞭な点がいくつかある。まず、学校の勉強とは何だろう? 私が思うに、小中高、大学で習うような、国語、数学、理科、人文学、有機化学、物理学なんかを指しているのだろうと思うけどこれでいいね?」

「うん」

「じゃあ、社会ってのは、人の集合している組織ってことでいいかな? 国だったり、都市だったり、会社だったり、学校だったり、家族だったり?」

「いいよ」

「でも、社会に出るっていうのは、どういうことだろう?」

「うん?」

「君は『社会に出ていない』状態だったことがあるだろうか?」

「ああ、うん……。」

ここで彼(彼女)はおそらく会話がめんどうくさくなってくるでしょう。こんな話しなけりゃよかったと思っているにちがいありません。しかし、行きがかり上、ここで会話をやめるのは失礼かも……、ということで彼(彼女)は健気にも私に優しく諭してくれるでしょう。

「それは、アレだよ。ちょっと問題文に語弊があったかもね。『学校を卒業して会社に就職した後に、学校で勉強してきた内容は役に立たない』ってことがいいたかったんだ」

「そっか。……でも、それにしたって私の回答は変わらないよ。学校で勉強すること、会社で仕事すること、それらは関連のないことなんだ。そもそも『役に立てる』目的ではないものを『役に立たない』と言うことは可能だろうか? 君は大学受験のために勉強をし、スタイルを維持するために筋トレをするよね? でも、大学受験のために筋トレはしないだろう? 大学受験に失敗した後で筋トレが役に立たなかったと嘆くということはないだろう?」

「いや、うん、まあ……。そうかもね」

ここで彼(彼女)は、鼻息を荒くして目を血走らせている私をみて心底げんなりとするでしょう。そして「生理的に無理だわ」と思って(あるいは実際に口に出して)、テキトーに取り繕いながら(あるいは敵意をむき出しにしながら)その場を去ることでしょう。

そうして、私はひとり、自分の業の深さを嘆くのです。

最後まで読んでくれてありがとー