トルコのバナナマン

 好きなものを語るのには勇気がいるが、その理由は二つあると思う。

一つ目は相手の反応が否定的だったら怖いから。好きなものというのはある種自分のパーソナルの核であり、それを否定されることは自分自身の否定にも等しいから辛いだろう。

二つ目は理解されない可能性が高いから。それが好きなことであればあるほどこだわりは強くなり、微妙なニュアンスや熱量までも正確に伝えたいと思うだろう。好きの度合いに比例して、ハードルは高くなっていく。

 これらの理由を飛び越えて、好きなものを語ろうと思い、noteをやっている。SNSの匿名性は弊害もあるが、上記を緩和してくれる利点もある。

 僕の中でバナナマンといえばコントの人である。初めて見たのは小学生のとき大晦日の爆笑オンエアバトルでみた刑事のコントだった。当時、お笑いは好きだったものの特にこだわりなくバラエティ番組をテキトーに眺めるだけだったが、これを機によりコアなネタ番組や深夜バラエティに興味が移った気がする。

 コント自体、お笑いのフォーマットとしてとても好きだが、やっぱりバナナマンのコントが格別に好きだ。彼らのコントは深い洞察力からできていて人間への興味がすごいのだと感じる。人間のもつ、常人では見逃してしまうような微かな異常性や癖を切り取って拡大コピーしたものにギャグとコント師の技術を混ぜてぶちあげるのだ。

 前述の刑事のコントは、張り込み2というタイトルで、刑事の先輩後輩コンビが容疑者の張り込み中に雑談しているという内容だ。前時代的な先輩刑事の価値観や、それに付随するある種の愛らしさが魅力のコントだが、二人の演技力がその魅力を何倍にもしている。Loserという別のコントがあるが、これは対照的に若い年代の勢いだけで中身のない滑稽さを取り上げている。小型犬のくだりなんかは本当に爆笑した。このコントはバナナマンの盟友であるおぎやはぎの小木さんも好きなコントとしてゴッドタンで喋っていた。
気分によって好きなコントは変わってくるが、どれか一つのコントを推すならばa scary storyだ。このコントは友達同士が怖い話を披露し合うという内容だが、なにせ演技の難易度が高い。このコントを面白く実演できるのはバナナマンだけじゃないかと思うほどだ。怖い話をする、という行為自体が潜在的にもっているおかしみや幼児性の見栄っぱりがものすごくツボだった。このコントの超難易度に見合う面白さだと思う。

 いやー、好き勝手に語れるのがSNSの良いところですね、というお話でした。


今日の音楽
星野源「トルコのバナナマン」
たしか、TARQUOIZ MANIAというコントライブのテーマ曲だったと思う。マリンバの音が涼しげでいいですね。バナナマンのライブは毎年夏にやってるからピッタリですね。マリンバは木琴のことです。

最後まで読んでくれてありがとー