自分の意見は言いたくない

自分の意見はあまり言いたくありません。他人の意見もあまり聞きたくありません。

ここで「なんてイヤなやつなんだ」とか「なんて無気力なやつなんだ」と思われた方。あなたは正しい。上記を読んだらそう感じるのが一般的でしょう。

もしかしたら、「ん?『自分の意見はあまり言いたくない……』。これがすでに意見じゃないか。アンチノミーな言葉遊びがしたいだけか? このヒマ人め!!」と思われた方もいるかもしれません。あなたも正しい。ちょっと一般的かどうかはわかりませんが。

でも、わたしがいいたいことは上記のいずれでもありません。なぜ皆さんとの誤解が生まれているのかというと、それは「意見」という言葉をどう認識しているかが影響しているのでしょう。

国語辞典にどう書いてあるかは調べたことはないし、無意味だと思うから調べようとは思いませんが、「自分の考えを誰かに伝えること」は「意見を言う」とは違うと思います。例えば、「『1+1』は?」と先生に聞かれて、「2!!」と答えた生徒、というシチュエーションで考えてみましょう。この場合、生徒はいわば「自分の考えを先生に伝えた」わけですが、自分の意見を言ったわけではないでしょう。「1+1」は誰にとっても「2」ですし、自分の意見を挟む余地はないでしょう。

逆に、「意見を言う」シチュエーションを考えてみましょう。例えば、先生が「1冊の本を読んで感想文を書いてきてください」と宿題を出して、生徒が「いろいろな動物が登場して面白かった。とくにアリクイ」という文章を提出したシチュエーションを想像してみてください。これは「生徒が自分の意見をいっている」とわたしには感ぜられるのですがいかがでしょう?

まあ、なにがいいたいかというと、つまりは、前者は「誰かが発している問い(Q)にたいする回答(A)」という構図になっているのに対し、後者は「ただその人の意見」がぽつねんと存在している状況だということです。

おそらく、ほとんどの人にとって上記までの文章で示されている事柄はごく些細でどうでもよいようなことなのだと思います。でも、わたしは空恐ろしいなにかを感じてしまいます。誰にも求められていない、なにとも対になっていない、空虚な言葉ほど恐ろしいものがあるでしょうか。わたしの中の孤独感が膨れ上がってバーストしそうです。『人間の幸福は、人間とのかかわりの中にしか存在しない』のですから、その真逆である本事柄は、さながら不幸の極致といえるでしょう。

……ここまで長々と書いておいて、タイトルは『自分の意見は言いたくない』。でも、矛盾はしていないのです。本当に、しなくてすめばありがたいことにはちがいないのです。

最後まで読んでくれてありがとー