青年は、その娘を見たときに胸の鼓動が高まるのを感じた。その娘がそばによってきたときには胸にあまい痛みを感じたし、ふと気づくとその娘を目で追っていることが多かった。

青年は直感した。これは「恋」である、と。

恋をすると、その異性に想いを伝えるのが世間一般であった。しかし、青年は考えた。その娘に想いを伝えるのはよい。しかし、その後にはなにが残るのだろうか。娘に拒絶された場合、これは言わずもがな、精神的に傷つけられ辛いだろう。娘に受け入れられた場合はどうだ? 直感的にはただただ幸福であるような気がするが実際はどうだろうか? 娘に気にいられ続けるために常に気を張って精神が疲労してしまうかもしれない。それに、娘に一度受け入れられたからといって、その後もうまくいくとは限らないのだ。一度得たものを失う悲しみは、もともと得られなかったものを嘆く悲しみよりもずっと大きいと聞いたことがある。

いろいろと考えを巡らせた結果、青年は「恋」をし続けることにした。要は「現状維持」だ。「恋」をしているこの状態がもっとも幸福であるという結論に到ったのだった。

あるときは、偶然に娘と街で出会った。2人はカフェでともに時間を過ごし、青年は娘とともにいられることに幸福を感じた。娘はなにか期待する素振りをみせており、青年はそのことに気づいていたが見て見ぬフリをした。理由は言わずもがなだ。

あるときは、青年が仕事で成功を収め、その祝賀会を開いた。その会に出席した娘から、おめでとう、と声をかけられたとき、青年はこれまでになく胸がうずくのを感じた。でも、青年はその声に気づかないフリをした。娘には悪いと思ったが、仕方がないことだと自分で納得した。理由は省略する。

あるときは、青年が海外へ長期間の出張することが決まり、その娘から電話があった。電話の内容は普段話しているような他愛のないものであったが青年は嬉しかった。会話の途切れ目に青年が、なんで電話してきたのかを問うと、娘は黙ってしまった。青年はなぜだかやりきれなくなって電話を切ってしまった。

あるときは、娘が結婚する知らせを受け、青年は招待状に丁寧に返事を書いた。仕事が忙しく出席はかなわないが心から祝福する。その後、娘から電話がきたが、青年は拒絶した。

あるときは、娘が死んだ知らせを受けた。正しくは娘は娘ではなく、老婆であったし、青年は老人であった。そして、老人になった青年はそのときにはじめて気がついた。

これは恋ではなかった。

最後まで読んでくれてありがとー