プライド

筆者である私は、アラサーの会社員です。

会社員生活をそこそこ過ごしてきた私ですが、常々思うことがあります。それは、老若男女に関わらず、誰しもが”プライド”をもつ人間であるということです。

私はよく言葉選びのセンスが人と違う(才能がある、というニュアンスではなく、単にチョイスが下手なのですが……)と言われるので、上記ですでに誤解されている気がする……。下記で補足しますが……。

ここでいう”プライド”とは、字義の通り”自尊心”なわけですが、”プライドが高い人”と書くと、なんだか、「だれがおめぇの言うことなんか聞くかよ!! べらんめぇ!!」といったスピリットをもつ江戸っ子を想像されるのではないでしょうか?(私はそうです)

私が日々感じるのは”皆がプライドをもっている”ことなのであって、”皆がプライドが高い”ことではないのです。さらにいうと、私は人間相手に「プライドが高いなぁ」と感じたことは一切ありません。

誰しもが自身を貶められたと感じるとプライドが傷ついて私に敵意をもちますし、誰しもが自身を賞賛されたと感じるとプライドがくすぐられて私に好意をもちます。そのことを切実に感じるのです。このことに気づいてから私はなんだかとても楽な気持ちでサラリーマンをやれるようになった気がしています。

またしても、意味不明な文章を書いてしまったかと不安になってきました。もしかしたら上記を読んだ人から「そんなこと当たり前じゃないか!! なんだこの文章は!!」と怒られるかもしれません。……ただ、上記は以前の私からすると当たり前のことではなく、とても新鮮な意味をもつ言葉だったのです。ポイントは「自身を貶されたと感じるとプライドが傷つく」のであって「悪口を言われるとプライドが傷つく」とか「公衆の面前で性癖をバラされるとプライドが傷つく」とは意味が違う、ということです。

要は、なにをされたって「自身を貶されたと感じない」のであれば、プライドは傷つかないし、逆に言えば「自身を貶されたと感じる」のであればなにをされたってプライドは傷つくということです。

「若者はプライドが高い」とか「役職者はプライドが高い」とかのニュアンスをもつ言葉をよく聞きますが、そのたびに私は「プライドが高い、とはちょっとちがう。プライドはみんなが同質のものをもっていて、高くも低くもない。ただ、外部からの刺激を貶されたと感じたり賞賛されたと感じたりしてるそのセンサの種類と感度がちがうだけなんだよ」と思うのです。人に話したことはありません。話したらきっとおそろしいことになるでしょう。


「いいたいことはなんとなくわかるけどさ……」

「うん」

「結局さ、なにが言いたいの? っていうか、結局言い回しがちがうだけで一緒のことじゃない?」

「え? それは、どうゆう?」

「だからさ……。君の話は、”プライドが高い”=”貶されたと感じるセンサの種類が多くて感度も高い”ということでしょ?」

「まあ……。そうだね」

「意味ないじゃん」

「え?」

「だからさ、言い回しがちがうだけで意味ないじゃん」

「ああ……。いや、でもさ、だいぶニュアンスがちがうじゃない? 一般に”プライドが高い”といわれる状態を表すのに、”プライドが高い”という言葉は不適切じゃないかと思うんだよね。より細やかな言葉でその状態を再構成することで真実の状態により近い状態を表現したのが上記の”貶されたと感じるセンサの種類が多くて感度も高い”ってわけだよ。より正確な言葉をつかってその人を表現することで、誤解がなくなるじゃない? そうするとその人と建設的な付き合いができると思うんだよね。」

夢中で話し、ふと気づくと友人はいなくなっている。



最後まで読んでくれてありがとー