シーラカンス
暗い室内に薄ぼんやりとライトアップされた水槽があり、その中には巨大な魚がいる。
体の大きさに対してその水槽はあまりに小さいようにみえた。しかし、そのような心配は不要だ。外見こそ何億年も以前から変わりないが、その内側には精密機械が組み込まれており、プログラムされていない行動をとることはない。尾びれをくねらせて生きていることを外部にアピールできるスペースがあれば、それ以上は必要としないのだ。
何もできず何も起こらないまま、気の遠くなるような時間が経った。
無限ともいえる時間を虚空をみつめることでやりすごしてきた彼にも終焉のときがきた。
「ごめんな…。」
不意に生命維持装置が切られると研究所内にけたたましいサイレンが鳴り響く。
やっと終わるのか…。暗い深海を静かに漂っていた頃を思い出しながら、彼は息絶えた。
「君は自分のしたことがわかっているのかね?あのシーラカンスはこの地球上に生息する最後の一体だったのだ。」
「ええ、すべて承知の上です。しかし、体のほとんどを機械に改造されて、生命維持装置をつけてやっと呼吸している、自分の意志で動くこともできないあの魚は生きていたといえるのでしょうか?」
「生物学的にも法律的にもあの魚は生きていた。議論の余地はないんだよ。」
まだ若い所員は、両手を机に叩きつけた。室内に乾いた音がひびく。
「そんなことを言っているのではありません!動物を絶滅から守るだの、地球は人間だけのものではないだのと安っぽいヒューマニズムを掲げて、結局、やっていることは生ける屍を量産しているだけだ! 人間のエゴでこれ以上動物を苦しめるのは耐えられない…」
「言いたいことはそれだけかね?」
所長がため息をついて片手をふると、警備員が所員を連行していった。
再び静かになった室内、所長は水槽の前で佇む。
「生きているとは何か? …くだらんことだ。いくら議論を重ねたところで我々はただ存在しつづけることしかできんのだ。あのシーラカンスが生きていないと結論づけられたって本質が変わることはない。
シーラカンスも…、私も…。」
生命維持装置を再起動すると、シーラカンスが尾びれをくねらせる。昨日までと寸分も違わずに…。
所長は自らの人工心肺が正常に動作するのを意識しながら、満足そうにそれを眺める。