人の意見を知り、自分の意見を位置付ける

学びの個別最適化と言われ、個人に応じた学びが充実してきたのは良い傾向にあると言えるだろう。
実際、一人一台の端末が配布され、勉強ができるとなると様々な雑務や労力から解放される可能性が出てくる。
それどころか、今までは意見が言いにくい子供であっても、意見を表現しやすくなり、教える側がそれを回収することも容易になる。
学びの効率化が加速することは確かだろう。
実際、同じ資料を扱っても、受け取る情報や解釈の違いというのが、そのまま人間の違いを表しているようでさえ、ある。
この見解の相違という部分は、教科書を越えた学びの一つでもあり、学びの醍醐味と呼んでもいいのではないだろうか。


ここから、ICT端末だけでは学べない、人間を必要とする学びの姿が見えてくる。
名講師の授業を受けることができれば、最新鋭の重要な知識を学ぶことはできるかもしれない。
しかし、実際問題として隣に友達がいるから聞けるという環境はそんなに軽んぜられるものではないだろう。
自分の意見を表現することに緊張感が生まれるのは、聞いてくれる人がいるからである。
自分の意見だけが全てではないと実感できるのは、他者の異なる見方・考え方を知った時である。


これを最もライブ感あふれる形で提供できるのは、学習集団としての学びではないだろうか。
自分の意見が全体のどこに位置づくのかを知った時、自分の立場を表明できる。
論点が分かれば、選挙に出向くモチベーションにもつながる。
一つの資料、一つの社会的論争問題に自分ごととして向き合えば向き合うほど、相手との違いが浮き彫りになり、自分自身のことをより深く知ることができるだろう。

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