歴史と経済17〜移民〜

人間が移動する。
ドミノ倒しのように、隣から移動して来た者の圧力で移動する。
4〜6世紀のゲルマン人の移動のように。
あるいは、隣の弱体化に乗じて移動というか、侵入を開始する。
9〜11世紀のノルマン人のように。
いわゆるヴァイキングである。
あるいは、7世紀に生まれたイスラーム教はジハード(聖戦と言われる正義のための戦争)を伴い、爆発的に広がっていった。
このような宗教の広がりによって生まれたコミュニティの形成やその内外の移動もある。
イスラーム教は2100年には世界最大の宗教人口を持つことが予測されている。

13世紀にはモンゴル人が空前の大帝国を築いた。
モンゴル高原からイランやヨーロッパへ移動、というか大遠征を行った。
15世紀にヨーロッパ人が初めてアメリカ大陸に到達した。
16世紀においてもスペイン人の移動は続き、17世紀にはオランダもやって来る。
この辺りから、ヨーロッパ人を中心とする、地球がぐるり一周してつながる兆しが見え始めた。
もっとも、コロンブスよりも早く中国(明)の鄭和はアフリカにまで大遠征を行っている。
1522年にはマゼラン(フィリピンで戦死)の部下が世界就航を果たしたことは大きい。
その後、スペイン人は先住民を労働力として酷使し、現在のボリビアの銀鉱山で採掘した銀をフィリピンのマニラまで運び、そこで中国産の絹織物や陶磁器と交換した。
こうして広い太平洋においてもヒトとモノが行き交う場所となった。
海の道ができれば、やがては職を求め、住居を求めて移動する人も出てくる。

大西洋は今や盤石の移動まっしぐらということで、ヨーロッパからアメリカへの白人の移動が増加していく。
やがてアメリカ大陸には追いやりつつ、フランスやイギリスがやって来る。
元々、この新大陸には日本人のようなモンゴロイド(黄色人種)が定着していた。
世界史はきれいごとでは、決してない。

18世紀には産業革命を達成したイギリスが主導権を握り、世界中をイギリス工場への原料供給へと巻き込み、あるいは世界中に商品購入を迫ることになる。
力のある国に対してもイギリス型の経済システム、いわゆる資本主義への同調圧力が高まり、それを拒めば多くの場合、植民地となった。
日本を除くアジアの帝国の多くは、この変化への対応が鈍かった。
深傷を負い、多くの帝国は壊滅した。

18世紀にはアメリカ合衆国が建国され、この大陸は白人種が主導権を握ることになっていく。
アフリカ大陸の黒人奴隷の移動はこれまでも見られた。
その犠牲のもとに、タバコや綿花、あるいは砂糖がイギリス工場へと運ばれていた。
こうして、当初はイギリスの植民地として経済が回っていたのだった。
しかし、やがてイギリス本国による統制と課税の強化によって不満が高まり、イギリスから独立を果たし、アジアからもヨーロッパからも労働力が集まり、鉄道をつなげ、工業を発展させていくことになる。
人種のるつぼ、現在ではサラダボウルと言われるようになったこの国のルーツはここにある。

18世紀末にはナポレオンが登場し、ヨーロッパ中に侵入する。
この結果、民主主義や人権の思想が広がった。
ここに来て、思想の広がりの重要性が少し見えてくる。
思想(あるいは宗教)が同じだと、コミュニティとして繋がれる。
コミュニティは同質の者を歓迎し、異質の者を排除する傾向を帯びてくる。
たとえば、これ以降の時代で登場する、資本主義と社会主義が水面下でバチバチやり合っていた冷戦期、両者の間で移動の自由は大幅に制限されていた。

話を戻そう。

19世紀にはアフリカとアジアはこのヨーロッパ人の移動というより、侵略によって蚕食される形となった。
一方で、極東の日本はヨーロッパの制度と技術の導入に成功し、近代国家として野スタートを切り、短期間で一大勢力を形成していく。

20世紀に入ると、日清戦争を経て台湾を獲得し、日露戦争後に朝鮮を併合した。
ここに日本人のコミュニティが拡大していく端緒がある。
さらに第1次世界大戦に乗じて、中国や南洋諸島方面への進出した。
 
一方で、この辺りから太平洋を挟んでアメリカがアジアへと目を光らせており、世界の覇権も掌握しつつあった。
中国への進出を考えるアメリカとしては、日本の台頭は目に余るものがあり、これがやがて太平洋戦争の引き金を引く。
両者は日露戦争時(20世紀初頭)はむしろパートナであり、日本人のハワイやアメリカ西海岸への移動もピーク時は3万人近くいた。
しかし、1924年の移民法では日本からアメリカへの移民が全面的に禁止された。
一方で、現在世界最大の日系人居住地となっているブラジルへの移民が加速していく。
この移動のベクトルの変更は、明らかにアメリカとの関係悪化と連動している。
こうして見ると、日本人もまた海を渡り、縦横無尽に移動を展開していることが分かる。

第一次世界大戦までは勝ち馬に乗り続けた日本であったが、その後の国内外の経済の悪化への打開策を、最終的には軍事力による経済圏の確保に見出していくこととなる。
1931年の満州事変と翌年の満洲国の建国、1937年以降の中国華北方面への進出は明らかにアメリカの心象を悪化させ、世界の日本への警戒感を高めた。
一方で、ドイツにはヒトラーが登場し、1939年にはポーランドに侵攻し、ヨーロッパ中を戦争に巻き込んでいく。
日本とアメリカも1941年に先端が開かれた。

世界中に人間が移動するときに起こる、利害関係や文化・宗教の衝突は、否応なしに血で血を洗う争いを生み出すことにつながった。
それは、たった70〜80年前においてもなお、人間は大きく変わっているわけではないことを教えてくれる。
そして、それは現在進行形でもある。
しかし、この過程において文化と人種の混合が見られ、それが知識や技術の発達へとつながることで革新が生まれ、さらに効率的な「通り道」が作られ、やがてコミュニティが形成されていく。

1歩進んでは2歩下がり、次に3歩進むような、行きつ戻りつを繰り返しつつ、人間は世界中に移動し、世界は少しずつ良くなっている。
そして、少しずつ人類は地球世界の一体化を進めてきたように見える。

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