議論する

議論は得がないという話を昔、司馬遼太郎の本で読んだことがある。
議論に勝ったとしても、通常自分の意見というものは変えないものであり、相手の名誉を奪うだけであるという話だ。
特に、自分の意見と相容れない意見の持ち主とは、双方に自分の意見を通そうとして議論になる。
相手を言い負かそうとする力学が働く。


白黒勝敗がつけばいいが、別の角度からの検討も必要である。
それは、自分が100%正しいわけではないが、相手の言い分も一理あると考えることである。
実際には、自分の論理を押し通そうとすればするほど、自分の意見の本質的欠陥が露わになることがある。
灯台下暗しという状況がよく起こっており、本人が無自覚なことも多い。
あるいは、誰も答えが見えていない状況での暗中模索の議論も起こることもある。


進展や成果を望むのならば、こうした議論は有効なのではないか。
自分がずっと考えてきた考えをさらに一歩押し進め、新しい発見ができるような学びは議論によってもたらされるのかもしれない。

そういう意味では、議論が自分の成長を与えてくれることがある。
自分が設定した問いが紐解かれる瞬間ほど、エキサイティングなことはないだろう。

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