楽しく勉強する方法28~触発されて書く~

勉強をしていると、興味が広がり、美しいものに触れたくなったり、分からないものを分かりたいと思うのようになったり、芸術を勉強したいと思うようになったり、映画を見たいと思うようになったり、理系の本を読みたいと思うようになってくるだろう。

知らないことがたくさんあり、メディアや新聞を読んでいて、ある大学教授が当然のように自分が知らない学者の名前を出してくるのを、悔しいと思ったりする場面が出てきたりする。

そして、それに関係する本を読んでみようという思いに至る。

人類の時のふるいに淘汰されて残る名作に間違いはない。
すなわち、古典である。
こんなにも現代のように、日進月歩の毎日であっても、古典が訴える真理には威力がある。

特に、自分が尊敬している人がおすすめしている著作を読むと、色んな衝撃を受けるだろう。

それは、味わったことのない感動かもしれない。
私は井上靖の『あすなろ物語』を高校1年生の時に読んだ。
最初の40ページでやられた。

「深い深い雪の中で」という章を読み終え、この本を勧めてくれた父に「すごい、面白い!!!」といって走って行ったのだ。
本は人を走らせる。

一方で、難解で理解不能に思える文章と格闘する羽目を招くこともあるのが読書である。
世界史の予備校講師である青木裕司氏が『カラマーゾフの兄弟』を超える小説は今後も出ないだろうと話していたので、早速読んでみた。

ロシア文学の恐ろしさ、深さを体感した。
一人の人物がずっと話しているのだ。
永遠と続く、一人しゃべり。
それが、手近な話題でなくて宗教的な良心の話であったり、聖書の話であったりするのだ。

私には何のことだか、さっぱり分からず、根性だけで読破し、一応大学生の時に読んだことにしておいたが、既成事実を作っただけという感じだった。

そして、自分に世界史の素養が不足しているために、この小説が分からないのだろうという結論に思い至った。
こうして、私に世界史を学ばせたのは、人類最高峰の誉れ高いドストエフスキーの作品だったのだ。

ヨーロッパに旅行に行った時、教会などの観光名所に行った時に、味わったことがないだろうか?
この芸術作品の何がすごいかが分からない。

もちろん、人類普遍の作品価値というものがあり、細かな知識がなくても味わえる感動もあるのだろう。

しかし、私は同じ作品を見たとしても、その作品のバックグランドを知っているか否かで、その作品を見る目は全く変わってくると思っている。

旅行先の作品を見て、自分がついていけていないと感じることがしばしばあり、人類最高峰の芸術作品を味わえない不甲斐なさを恥じた。

もったいない旅行に来たもんだと思った。
気付けて良かったと思ったものだ。

その後、紆余曲折を経て、歴史能力検定1級世界史に合格し、もう一度『カラマーゾフの兄弟』を読んでみた。

そしたら、今度は作品の吸着力によって離れられなくなった。
深い感動というより、麻薬劇薬といった感じのロシア文学の世界観に吸い込まれた。

その頃だったと思う。
京都でロシア文学者亀山郁夫氏の講演があると聞き、出かけて行った。
直接話をすることもできた。

こうやって人類の普遍的名作は私を色んな場所に連れて行った。

同様に長編小説の司馬遼太郎の『坂の上の雲』も私に日本史への道を歩ませることを確信させた作品である。

「まことに小さな国が、開花期を迎えようとしている。」

この一文から始まり、ロシアと戦うに至る日本の道のりを知るにつれ、この作品を生み出すために、司馬遼太郎がかけた労力と時間を知るにつれ、日本史の面白さを知ることになった。

そして、この長い作品たちは読後の心地よい疲労感と、深い感銘を私の中に残し、私の人生を変えた。

そして、私も一介の書き手になりたいと思わせるに至った。

一言で言うと、勉強の面白さに気づくと、教養を身につけたくなる。
教養を身につけたいと思うところが、人の人たる所以だと思うのだ。

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