見出し画像

全体が見えた時に、解釈は新しくなる

目の前の光景は、過去振り返った時に変わりうる。
次のステージに入った時に、過去のいろいろな挫折に価値があったことを知る。
その時は、思いのまま生きていたことがとても貴重な思い出として蘇ることもある。
全体が見えた時に、目の前のことが部分と捉えられる。
現在の話でも、それは言える。
目の前の現在が、未来への部分にもなる。
目の前の一冊の本が、自分が将来的に構成したい知の一部だと捉えられた時、一冊の本に軽重をつけることもできるだろう。
そこから、大量に読み捌くことの価値に気付けるかもしれない。
一方で、目の前のことに固執し、没頭し、こだわるのも人間の美点である。
その面もなければならないし、そういう何かに出会っていくことが人生において重要だろう。


しかし、そうした「夢中の時代」もやがては一つの時代として、別の大きな流れの中に統合されていくのではないだろうか。
どんな黄金期にも、終わりはある。
盛者必衰の理である。
なぜ、近年になって、コロンブスの銅像が撤去されるということが起きるのか。
それは時代という私たちの背後にある、大きな流れが存在していることで、歴史の解釈が変わるからだ。
解釈によって、新大陸を切り拓くパイオニアとして映るのか、侵略者として捉えられるのとでは雲泥の差となる。
不思議なことだが、同じ過去の人物の同じ行為であっても、今後も評価は変わり得る。
だからこそ、私たちが今どんな時代に生きていて、世界はどこに向かっていて、現在の世界の実力はどの程度なのかを見切ることが大事なのではないだろうか。
もちろん、世界の今後のポテンシャルも見極めなければならないし、地球がどこまで耐えうるのかも知っていなくてはならないだろう。


そこまで壮大なスケールでなかったとして、身近なレベルで今の道がどんな大きな世界につながるのかについて考える価値はあるのではないだろうか。
全体をイメージできれば、目の前で起きる現実を冷静に眺めることができる。
そして、本気で行動すべき場面を選択できるはずだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?