書くことで理解が深まる
文章を書くことは誰かを意識することである。
一方、誰も見ないならば、適当に書ける。
自分のためのメモは自分にだけ理解できれば良いので直截的に書いておける。
しかし、誰かに向けて書くためには、相手に伝わるように色んな情報を補い、組み立て、分かりやすく構造化する工夫が必要となる。
これはこれで、独特のロジックを構築する必要が出てくるだろう。
一見、自分がわかっていると思っていることであっても、書く段になると相手によっては、さまざまな範囲で調べ物をやらないと伝わらないということに気づく。
そして、さまざまな方法で伝えることができてこそ、分かっているということの証なのだと気づいたりする。
一見、分かっていると思っていることでも、角度によっては言葉に窮する場合がある。
クリティカルな角度から捉えていないことで、書いても説得力が出ないといういう場合も起こってくるだろう。
つまり、書くことは知っていることをただ単に吐き出す作業とは異なるということだ。
むしろ、知っていることを活用し、多面的に変化させていく作業だと言える。
誰かに向けた文章を書くことで自分が学んでいるとも言えるのだ。
書くことで自分の知識の穴が発見され、埋めようというモチベーションに繋がる。
書くことによって、穴を見つけている作業だとも捉えられる。
この時に必要な読書こそが、自分を成長させていくのではないか。
読む習慣と同じくらいに書く習慣を作っていく。
知識は人に合わせて活用できてこそ、真価を発揮して自分にも還元されるのだ。
書くことで知識やスキルは磨かれる。
書くことは自ずと相手を意識することになる。
人を求める意識こそが、自分の内面を刺激し、新しい学びの境地を切り拓く。