勉強を楽しくする方法36〜AI〜

予測系拡張型のAIの登場は私たちから仕事を奪うとされている。
タイプは他にも様々あるらしいが、AIの最大の特徴として、ビッグデータを自分で分類できてしまうことがある。

こちらが、答えを与えなくても、「自分」で分類することができてしまう。

もちろん、分類に漏れたケースは人の最終チェックが必要だけれども、拡張型AIは人の役割を代替するだけでなく、人が到達できなかったり、検証しきれない領域までカバーする拡張型とよばれるものまで登場するそうだ。

こうなると、人間が勉強する意味はあるのだろうか?
そこで、学習指導要領が改定され、主体的・対話的な学びを取り入れた学習が求められる現在につながる。

こんなAIの存在は脅威にも思えてくるが、楽しみな存在でもある。
たとえば、ある種のAIの出す斬新な歴史観には人智を超えるものがあるかもしれない。

未来予測では、たとえばある国家の台頭をAIが予測するならば、その理由を調べたり、考えたりするのも面白い。

ある程度、未来が見えてきたり、今までにない切り口でのアプローチは学びに刺激を与える。
そして、勉強する意義をいささかも損ねない。

AIに知識量で勝負しても芸がない。
勝てるわけもない。
勝ったところで、である。

ただし、ビジョンを掲げることは人間にしかできないであろう。
AIは予測はできても、アイデアを方向付けて実際に行動するのはあくまで人間である。

また、知る楽しみや共感できた時の一体感、それに伴って起こる推進力なども人間だからこそ感じる大切な感情である。

人間は教科書上の正しいとされる解答を鵜呑みするほど、素直でも単純でもなかったりする。

一般的に江戸幕府は薩摩藩と長州藩が倒したとされている。
大方異論の余地のない説であり、頭から決めてかかる人も少なくはない。
それを大人に納得させようものなら、けっこう大変だったりする。

そうに決まっているだろうと自分は思い込んでいても、幕府の経済状況や列強諸国の外圧などを鑑みて、薩長がいなくても倒れる可能性はあったと見る人もいるのだ。

いや、今やその見方は見過ごせるほど少なくはないかもしれない。

自分が頑なに正しいと決めつけていたことが、様々な人との対話を通して揺らいだり、改めて疑ったりすることがある。

そして、その人の意見とも折り合いをつけることで、意見の客観性を保つことがこんなにも難しいのか思い知る。

今まで、人間同士で出してきた意見に加えて、AIまでが意見を加えてきたら、そのふるいの精度はなかなか手強く、一つの方向性で意見を主張するのがどんどん困難になるのではないか。

今まで出されてきた知識や見方を踏まえて、AIが出してきた意見や結論には、我々人間は反論できないのだろうか。

しかし、AIの出してきた結論だからといって簡単には人間が納得するだろうか。

多くの人間を納得させることほど難しい仕事もないのではないか。
それさえも、AIならば成し遂げてしまうだろうか?
人間はやはり自分の知識や経験、そしてAIの結論ま踏まえて、意見を出し合い、決定していくと思う。

だとすれば、考えるために人間が知識を持っていたり、意見を素直に聞き入れたり、判断する力は必要ではないだろうか。

私は人間が学ぶ楽しさを簡単には放棄するとは思えないし、AIの力を利用してもっと学びたいと思う人間が増えればいいなと思っている。

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