解釈で変わる

あらゆる失敗、絶望、不運は解釈によって変わりうる。
視野のスケールによって違う意味を見出せる。
目の前の出来事が悪いと捉えることもできるけれども、深く長い視点で見ると、実は幸運だったと思える時が来ることに気づく。


もちろん、程度や質によりけりではあるが、努力して挑戦して失敗することは評価されるべきことではないだろうか。
失敗すると落ち込むかもしれない。
人にあれこれ言われ、ああすれば良かったのにと言われる。
じゃあ、お前がやってみろという気持ちになる。
挑戦とはそういうものである。
大抵自分の問題意識のもと、周囲が理解に苦しむほどに没頭でき、努力することであろう。
そして、その挑戦は必ずしも報われるとは限らないのである。
問題意識も簡単に周囲から理解が得られるものではない。


それでも、努力、挑戦、反省のサイクルを回転し続ける。
誰が何と言おうとやめない。
それによって過去の失敗や不幸は、何一つ無駄ではなかったことに気づけるであろう。
全ての失敗が自分にとって必要であり、自分が招いたものであることに気付けた時、自分の姿を俯瞰できる。


誰かのせいにせずに、一切の原因を受け止めてみる。
向上しようという姿勢は賞賛されるか、否定されるかに分かれる。
大人になるほど、周囲からは妨害が入りやすい。
そして、当人も叩かれて終わってしまいがちだ。
出る杭は叩かれる。
しかし、叩かれてもそれを踏み台にして大きくなれ。
ただでは起きない自分であれ。


自分の考えていることは思っている以上に、周囲には伝わらないものだ。
それを前提として、挑戦するのだ。
相手には相手の人生があり、考えがある。
自分の問題意識など、相手の人生に影響があるものでもない限り、そんなに伝わらないものだと腹を括る。
それでこそやりがいがあるのだと、割り切り、了解する。
そして、挑戦して奮闘して取り組めば、伝わることもある。
否定されるのは、伝わっていなかっただけだと気付いたりする。


たった一度の失敗は「敗北」の宣告ではない。
そもそも失敗と呼ぶ必要すらないのだろう。
次に再挑戦すれば、その経験は資源に変わるだから。


全ての出来事は違う経験に変えられる。
展望によって解釈が変わるからだ。
良い解釈に変えられるように、日々格闘しよう。

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