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58組踊と仲嶺良盛

「劇場から組踊を切り離す」
をコンセプトに月1回やってきた58組踊。
来月で10回目なので今の心境を。


・最初は辛かった
・キンピラが助けてくれた
・やり続ける覚悟ができた
・劇場からオファーがきた

最初は辛かった

2017年10月にはじまった58組踊。
劇場にいかなくても組踊は観れるんだ
っていう世界が見たくて始めた演奏会。



一人で喋って
一人で唱えて
一人で歌って


達成感はあったけどすごく疲れた。
これ毎月やるのか、、って。笑


あと周りの目も気になった。。


場数も踏んでない23の若者が
演奏会なんてやりやがって


って思われてるのかなぁって。

実際ほぼ初対面の先輩に
「君のこと悪い話しかきこえないよ」

って言われたのは凹んだ。おいおい初対面だよ。。


2回目の58組踊が終わって
スタッフとの反省会。


「仲嶺良盛のトークがつまらない」


これがスタッフの中で死活問題になった。
帰り道、悔しくてビール飲みながら泣いた。


キンピラが助けてくれた


「トークができないなら助けを呼べばいい」

と思って

お笑いコンビ
キンピラゴボウの
もりみつとたいがに連絡した。


2人とは高校の同級生で部活も
同じ硬式テニス部。

テニスラケットを振りながら
「いつか一緒に舞台立てるといいな」

って言ってたから
良い機会だったかもしれない。


2人は「いいよ!」と即答してくれて


キンピラゴボウが加わってからは
肩の力も抜けて演奏もトークも気楽に。


58組踊がそれらしくなったのは
この頃からだなぁ。


やり続ける覚悟ができた


周りに何か言われるんじゃないか
って心配しながら続けてきたのは


僕のやってることは伝統芸能だから
文化を消費するだけになってはいけない


ってのもあるけど


一番は


「自分に自信を持てなかった」


それだった。


でもそうだと知ってから


毎月やってくる
58組踊や国立劇場の舞台に

ひとつひとつ、少しずつだけど
自分なりに向き合うようになってから
少しずつ演奏が楽しくなった。


そんなとき


人間国宝の
照喜名朝一 先生に


「良盛、色んなこと
どんどんやりなさいよ」




と言ってもらってから
僕の中のリミッターが外れた気がした。


「やろう。やろう。」


そう思ってから
他にも沢山の先生や先輩方が
応援の言葉をかけてくれるようになった。

というより
その言葉を自分が
聞けるようになったのかもしれない。

とにかく僕は

死ぬまで組踊を続けよう

と覚悟した。


劇場からオファーがきた


「劇場から組踊を切り離す」

組踊自体そこまで知られていないのに
劇場に足を運んでまで組踊を観る人なんて
悔しいけどそんなにいない。

ならば

組踊が劇場から離れて
いろんな空間に存在していれば
組踊を観る人が増える

と思って続けてきた58組踊。

トークを多めにして
1本観るのに1時間かかる組踊は
10分に切り取って演奏。

お客さんが組踊を観るのに
使う体力を極力少なくしようとしてる。

そんなこんなで
10回目を前にして
なんと某劇場からオファーしてもらいました。


スタンスは変わらず
僕もお客さんも肩の力を抜いて
組踊に寄り添える時間に

したいなと思います。

58組踊 ゴーパチクミオドリ



よろしくお願いします。


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